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高雄灯台-市定史跡開館・運営プロジェクト

高雄灯台の活性化がスタート!雄本老屋と小本愛玉チームは高雄港区土地開発有限公司から委託を受け、100年の歴史を持つ高雄灯台の活性化に取り組みました。高雄灯台は旗後山の上で船舶の往来を常に導いてきましたが、人々にとっては遠い存在でした。チームが思考を凝らし続けたのは、灯台を活性化し、地域の特色を融合させ、「地方創生」の考え方で地域の観光スポットにするという課題でした。

チームは旗津地域のDNAを慎重に掘り起こし、地元の若者やチーム、公共・民間部門との対話や意思疎通を重ね、互いの考えを交換しました。私たちのビジョンは、高雄灯台を単なる観光・休憩スポットではなく、旗津の重要な文化資産として地域の特色を担い、地域のエネルギーを活性化する重要な拠点にすることです。

高雄灯台の現在の姿。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)
海岸線珈琲が高雄灯台エリアに登場。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

旗津地区は交通の便が限られているため、各種資源が比較的不足しており、その結果、若者の流出が進み、地元に戻って就業・生活しようとする意欲も低い状況にあります。そのため、地方創生エネルギーのマッチングが重要な目標の一つとなりました。そこで私たちは旗津で生まれ育った若者、阿沁に声をかけました。阿沁は地元ブランドの海岸線珈琲「Shoreline Coffee & Roaster」のオーナーで、彼が提供するコーヒーや軽食には港町の雰囲気が漂っていました。

海岸線珈琲が高雄灯台に出店するにあたり、小本チームと阿沁は、観光客に港町の景色を堪能しながら海を感じる料理を楽しんでもらえたらと考え、灯台限定商品の開発からカフェスペースの計画に至るまで、ディテールに関する議論を幾度も重ねました。高雄灯台の長所は、地域のエネルギーを活性化しています。

鼓往津来-鼓山旗津フェリー事業地方創生プロジェクト

高雄の鼓山と外海の間に位置する旗津半島は、古くから船舶の渡航・停泊地として栄えてきました。砂洲の北端に立つ旗後灯台は、百年以上にわたり港と島を見守ってきました。隣接するフェリーターミナルは高雄港エリアと結ばれ、頻繁な航路によって人々の往来を支えています。

2024年、小本チームは高雄市輪船股份有限公司(フェリー会社)が実施する「鼓往津來-鼓山・旗津フェリー事業地方創生プロジェクト」を支援しました。本計画では、「地域共生」の理念のもと、旗津フェリーターミナルの内部空間を再設計・改修し、地元の自家焙煎コーヒー店「ドゥシンヤ・コーヒー」や、地域組織の育成を行う「大港校CC」などのローカルチームを招致して運営を行っています。そして、5月1日(水)には、ドゥシンヤ・コーヒー第2店舗およびイラスト展「陳年罔市(ちんねんぼうし)」の開幕式を開催し、フェリーターミナルの再オープンを祝いました。

多くのチームの協力のもとで、旗津輸送ターミナルが若者の起業拠点、芸術文化の展示、飲食サービスなどを融合した複合的機能を持つ施設となったこと、また旗津深堀ツアーの出発点となり、若いUターン者が根を下ろせる場所になったことを目にできたのは大変嬉しいことでした。

旗津地区はかつて高雄市発展の中心地であり、造船・漁撈・養殖業によって何世代にもわたり地域の人々の生活を支えてきました。その後、経済構造の転換を経て観光産業の発展に力を注いできましたが、観光資源が旗津商店街エリアに集中したことで、中洲地区の経済発展は相対的に遅れをとる結果となりました。

そのため、旗津フェリーターミナルの運営計画において、チームはこの空間を中洲および周辺地域における将来の若者の事業発展拠点として位置づけました。地元の職人ブランドや観光資源を結びつけることで、地域の価値を再生し、新たな創造を促すことを目指しています。

雄本老屋の蕭定雄協理がプロジェクトチームの理念と実践過程について説明する様子。
大港校CCプロジェクト責任者の李怡志先生がチームのビジョンを説明する様子。
地域組織支援企業「大港校CC」との協力により、雄本チームは地域に根ざす青年団体と連携し、輪渡站を拠点に旗津の地域文化を共同で推進することができた。
若いUターン者が経営する「杜辛亞珈琲」2号店が旗津輪渡站にオープン。

私たちは「公益と引き換えに賃料を軽減する」というモデルを採用し、旗津の自家焙煎コーヒー店「ドゥシンヤ・コーヒー」や、地域の若者団体の育成を行う「大港校CC」など、地元の店舗や組織を招致して運営に参加してもらいました。これにより、チームの熱意と創意を継続的に旗津フェリーターミナルへと注ぎ込んでいます。

輪渡站オープニングティーパーティーは、杜辛亞珈琲2号店のオープンを祝う式典でもありました。店舗が心を込めて用意したドリンクやスイーツは、イベントの大きな魅力のひとつとなりました。今後は、その豊かなコーヒーの香りとともに、世界各地から旗津半島を訪れる旅人たちを温かく迎えることでしょう。

大港校CCチームが企画した旗津輪渡站の最初の芸術文化展示では地元アーティスト「陳年罔市」のイラスト作品が展示された。旗津の風景が額縁の中の色彩で表現されている。

輪渡站内では飲食サービスや芸術文化展示の他に、大港校CCチームが運営を支援する「I-Center旗津深度旅行センター」が旅行情報と地元の若者のコミュニティマップを組み合わせて、観光客に旗津の深堀ツアー案内を提供しています。旅行センターでは地元職人による文化クリエイティブグッズも販売されており、旗津地域の文化的基盤を感じることができます。

旗津の文化観光の出発点となるI-Center旗津深度旅行センター。

塩埕の老街・古家再生運動

日本統治時代の打狗(高雄)築港計画の推進により、かつての海は埋め立てられて新しい土地となり、一面に広がっていた塩湖や沼地も市街地整備によって整然とした街区になりました。「哈瑪星」と「塩埕」の2つの港によって発展した新興市街には埠頭、鉄道、会社、銀行と商店が集まり、空前の繁栄を迎えました。商港の背後に位置する塩埕(エンチン)地区は、1920年代には劇場、料亭、カフェ、百貨店が立ち並び、あらゆる娯楽や社交が集まる華やかなエンターテインメントの街として栄えていました。この繁栄は戦後も続きましたが、1970年代に高雄の政治経済の中心が東へ移動するにつれて、次第に衰退していきました。

いまや塩埕は、かつてのように人波が絶えない「盛り場(繁華な商業・娯楽の中心地)」ではなくなりましたが、その街並みに残る古い家々や路地には、いまだ黄金期の面影が息づいています。少し手をかけて修復・整備を行えば、街の精神は再び蘇る。その理念のもと、今年、雄本老屋は協力会社の合本営造とともに、高雄市文化局が推進する「古い町家の再生プロジェクト」に参加し、塩埕および周辺地域にある築50年以上の老屋22棟のファサード改修工事を手がけました。建物のファサードから本来ない建材や増築構造を取り除き、電気や水道の配管、エアコンの室外機、電気・水道メーターなどの現代設備を配置し直し、古家の耐候性能を強化しつつ、照明計画によってファサードの美しさを際立たせることに重点を置きました。目指したのは、空間の物語の継承と再現を通して新旧市街地の変遷における港町の発展の歴史的文脈を描き出すことです。

1970年代初頭、人々で賑わう塩埕の街並み。(画像出典/写真家・鐘清溪、1973年撮影)

外から内へと向かう古家の再生

築60年の瀬南街の古家。「老街・古家再生運動」において最初に完成した場所。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

「老街・古家再生運動」の前期では、高雄大学の陳啓仁学長率いるチームが多くの家主と接触し、最終的に瀬南街の古家、新楽街二連棟、中山一路八連棟、国際商場(旧高雄銀座)などの歴史建築をモデルケースに選びました。これらの空間は住居や店舗、または空き家になっており、塩埕地区の過去の栄華を反映してはいるものの、時の経過で輝きを失っていました。また、伝統工法や建材の入手などの問題もあり、修繕や維持管理が困難でした。今回のプロジェクトは、外観の修復から着手し、旧市街地の忘れられた一角に光を当てるものでした。

この「都市設計」の視点で展開する古家再生活動には、雄本老屋が2023年に台北市で実施した「バルコニー整備実験プロジェクト」との類似点があり、いずれも街区への小規模な介入や既存の建物外観の微調整を通じて、住民や近隣の人々に古家の本質的な良さを再認識してもらうことを目指しています。家主の日常生活への影響を最小限にするため、修繕チームは限られた時間内にファサード改善工事を終える必要がありましたが、彫刻のディテールや埃の除去にも手を抜くことなく、建物本来の材質の質感や装飾的要素の復元に努めました。

最初に完成した「瀬南街の古家」。この家には家主である李さんの大切な思い出が沢山詰まっており、夫婦の日常生活を見守ってくれた住まいです。60年の歳月の中で建物が老朽化し、壁面のモザイクタイルの欠損や、鉄製装飾欄干の塗装剥がれなどの様々な症状が現れていました。精巧な木製格子窓も機能性を考慮して現代的なアルミ窓に交換されていました。工事期間中、チームメンバーは何度も現場を訪れ、外壁の清掃、修復、防水処理と並行して洗浄後の壁面や欄干などのサイズや色番を慎重に照合し、最適なタイルや塗料を選びました。また、元々の木製窓の分割形式に従い、ダークブラウンのアルミ製気密窓をオーダーメイドしました。

修繕後の瀬南街の古家は、温かみのある色調のタイルと空色の鉄製装飾欄干の鮮やかなコントラストが目を引き、周囲の建築物と調和しつつも街区で一際目を引く印象的な建物になりました。20年前にこの地に店を構えた南北貨物貿易会社はなくなり、当時瀬南街に集まっていた家族のメンバーも各々の道を歩んでいますが、埃を払い落とした古家は過去の記憶を再び鮮明にし、地元の活気溢れる商業の歴史を伝えています。

チームは頻繁にカタログと色見本を現場に持参し、古家に最も適した装飾材料を比較検討した。
鉄製装飾欄干の吊り下げ作業中、修繕チームが鉄材部品の補強塗装を行っている様子。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

同じくかつて店舗として使われていた「新樂街二連棟」は、高雄で長年親しまれてきた老舗鴨肉店の発祥の家です。後継の家族が次第にこの地を離れてからは、倉庫や飲食店の下ごしらえスペースとして利用されてきました。やがて、建物の前に設けられた看板フレームやビニール製のひさしが、本来の上品な佇まいを覆い隠し、騎楼のモルタル仕上げの柱や梁も、幾重にも塗り重ねられたペンキの下に埋もれてしまっていたのです。チームはまず、ファサードに後から追加された増築部分を撤去し、既存の鉄製窓枠を耐候性のある木製窓へと交換しました。また、一方の窓には当時の装飾格子(窓花)の職人技を丁寧に残しています。さらに、もとのモルタル洗い出し(抿石子)の質感を参考に、塗料を削り落としたうえで、色味や粒の大きさが近い石材と調合塗料を選定し、線形や曲面のプロポーションに合わせて騎楼空間を丹念に修復しました。

丁寧に洗浄・修復された赤レンガの壁面は、夜間にウォールウォッシャーライトが照射されると、幾つかの損傷が突然現れます。家主の呉さんが家族から聞いた記憶では、これらの凹みの痕跡は恐らく第二次世界大戦中の米軍の爆撃による弾痕であるとのことでした。そのため、修繕チームは平坦ではない壁面を慎重に保存し、この土地が経験した激動の歴史を建築空間に記録することにしました。

修繕後の木製の窓格子は、その中に収まる街区の風景に時代の変遷の模様を添えている。写真は、小本チーム設計二部のシニアマネージャー郭以諾(左端)、古家計画部の専門員劉亮妤らチームメンバーが竣工検査を行っている様子。

街区の復元、華やかな賑わいの再現

修繕前の中山一路八連棟は、多様なファサードスタイルを持っていた。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

高雄駅の前方に位置する「中山一路八連棟」は、南北から訪れる旅行者の目を引き、この都市に対する人々の第一印象を形作っています。今年の「老街・古家再生運動」に参加したこの、7棟のアパートの中には、住宅、バイクレンタル店、美容サロン、使われていない空き家があり、半世紀を超えた建築物のファサードは各々が独特の表情を見せていました。チームは古い看板や鉄材部品を撤去し、配線を整えた後、文化資産の外壁洗浄に精通したチームを招き、剥離剤を使用してファサードの装飾彫刻を復元しました。現代の使用ニーズに応えるため、修繕工事では新しい看板の設置やエアコンの交換も行い、室外機を軒下に移動させ、亜鉛メッキのエキスパンドメタルを使用して全体の視覚的な美しさを維持しました。

老街・古家再生運動は、この古い連棟アパートの往年の整ったファサードを取り戻すとともに、個々の住人が長年にわたって蓄積してきた特色も保存しました。

特筆すべきは、チームが古いアパート内の美容サロンの顧客の多くが外国人労働者であることを考慮し、看板の交換過程で家主の合意を得て、顧客が普段使う言語で新たにデザインした点です。世代を超えた生活の軌跡が融合する八連棟の建物には、地域発展の流れが具現化されています。ファサードの改善後も、多様性を受け入れ、新旧共存する港町の精神を映し出し続けることでしょう。

設計二部のスタッフ、余品均が玉砂利洗い出し仕上げの壁面に合わせて調合塗料を作成している様子。
老街・古家再生運動中、中山一路八連棟にチームが新たにデザインした看板が掲げらました。

連棟式の街並みやアパート型の古家に加えて、1936年に日本の銀座商店街をモデルに建設された「高雄銀座」も、今回のプロジェクトにおける改善事例の一つです。高雄初の大型百貨街であった高雄銀座は、以前は輸入品の集散地であり、バーやカフェなどのモダンな娯楽施設が集まっていました。建物の構造は第二次世界大戦の空襲で深刻な被害を受けましたが、1950年代に朝鮮戦争が勃発し、米軍が高雄港に駐留したことを背景に再び商店が集まり、「国際商場」という名前で繁栄を取り戻しました。また1963年にはアーケード街のブームを受けて拡張工事も行われました。しかし、都市発展の中心が移るにつれて国際商場もモダンな輝きを失い、中央の吹き抜けと両側の商業スペースをつなぐ通路だけがこの地の過去を物語っていました。

日本統治時代に絵葉書(ポストカード)の形で保存された高雄銀座の歴史的画像。

塩埕区の喧騒や静寂と共に歩んできた国際商場。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS撮影)

かつての繁華から静寂へと移りゆく多くの旧市街の建物と同様に、「高雄銀座」もまた、複雑な所有権や長期の空き家化といった問題を抱えていました。そこでチームは、ささやかではありながらも効果的な「照明計画」によって空間へ介入することを選びました。実際に入口や通路を明るく照らすことで、人々の記憶の中に眠っていたこの商業街へのまなざしを、再び呼び覚まそうとしたのです。チームは投光器の設置に着手しつつ、天井に吊るされた古い蛍光灯の台座を残していきました。これは、人々が黄色い光に誘われて見上げた瞬間に、過去と現在の対比、新旧の融合が生み出すインパクトを感じさせるためです。今回の照明計画のために特別にデザインした照明カバーは、新しい照明器具が建築物のファサードに影響を与えるのを効果的に防ぎ、元の空間の雰囲気を最大限に保っています。

「老街・古家再生運動」は現在も継続中です。外から内へと微調整を行いながら、少しずつ塩埕地区の視覚的印象を再構築しています。本プロジェクトの企画・設計、そして施工を担ったチームとしても、私たちは一連の具体的な取り組みを通じて、これまで大切にしてきた「老建築の再生」という理念を実践したいと願っています。都市の街並みが多様な建築様式を包み込み、それぞれの時代が持つ美意識や風格を映し出すことができれば、地域の発展の軌跡は自然と現代の暮らしの中に溶け込み、文化の土壌を豊かに育む肥沃な大地となっていくはずです。

老街・古家再生運動において高雄銀座の通路空間が照らされました。

共生祭-前金 Well-Being 展覧会

今年の夏、雄本老屋チームは林事務所の林承毅先生から招待を受けて高雄を訪れ、前金区の弘道老人福祉財団のパートナーらと共に、第1回「共生祭」準備ワークショップに参加しました。共生祭の目的は、「コミュニティ共生」の概念を提唱し、高雄初の社会住宅「大同社会住宅」と弘道のパートナーが運営する「林投好客廳」を中核として、時代的意義を持つ「生旺巷」の街区回廊と連携し、この地が実践する「共生コミュニティ」の成果を展示することです。

雄本老屋の企画チームはワークショップでの話し合いや意見を基に、「共生」の「互助、相互、依存」の理念を「手を取り合う、絆、連携」の概念と融合させ、「互」の字を原型に「大人と子どもが手をつなぐ」イメージを組み合わせて、今回のメインビジュアルロゴをデザインしました。

林承毅先生の案内のもと、私たちは周辺コミュニティでフィールドワークを行い、複数回の三者協議ワークショップを開催しました。その結果、皆が初回の「共生祭」を「街道展示」の形式で実施することに同意しました。雄本老屋のチームは地元コミュニティを何度も調査し、専門的な空間プランナーの視点から今回の「共生祭」の展示場所とルートを計画しました。前金の林投里内に点在する大同社会住宅や弘道の林投好客廳、地元の旧集落である生旺巷、前金幼稚園の各展示エリアを、統合的なシステムデザインと「共生パスポート」内の地図で結びました。

雄本老屋は古家の修繕と文化歴史調査が本業ですが、企画展示を通じて歴史建築と街区環境の活性化も行っています。今回の「共生祭」の準備期間中、企画チームは「生旺巷」を何度も調査し、展示の中に旧集落の特色と生活感を残すことを目指しました。既存のコミュニティの文脈を尊重しながら、「街区のマイクロリノベーション」を通して、住民の日常に新しい潤いと息吹をもたらし、暮らしの中に新たなイメージと活力を吹き込んでいます。展示を訪れた人々が、生旺巷の旧集落の姿を知ると同時に、そこに息づく地域の生命力、そして古い集落がこれから歩む未来の可能性を感じ取れるようにしています。