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帰郷がお客様ではなくなる:
後壁黄家の百年古民家が守る「家」の温もり

2025 / 05 / 23

「多くの若者が長く故郷を離れて暮らすうちに、“帰郷”という行為がまるで客として訪れるようなものになってしまった。次の世代に至っては、この土地での暮らしの実感さえ薄れているのです。それで私たちは古民家の空き部屋を整理し、黄家の子孫が帰郷した際に安心して滞在できるようにし、彼らが故郷の家との繋がりを取り戻せるようにしたいと考えました」後壁の黄家の古民家を修復・保存しようと思い立ったきっかけについて語るとき、黄明志(ホワン・ミンジー)氏の言葉には、この土地と人のつながりを未来へと受け継ぎたいという深い願いがにじんでいました。

数々の困難を乗り越え、古民家を文化財として登録することに成功してからは、日々の管理や維持の費用を支えるために基金会を設立。黄家の人々は、何十年ものあいだ変わらず古い家の灯を守り続けてきました。それは同時に、かつて祖先たちが後壁の地域に注いだ深い愛情を受け継ぐことでもあり、その「厚徳載物(徳をもってすべてを包み支える)」という精神が、いまも基金会の運営の根幹となっています。雄本老屋チームは本書の取材準備にあたり、後壁の黄家の古家の管理人である黄明志(ホワン・ミンジー)氏と蔡淑娟(ツァイ・シュージュエン)氏にインタビューを行いました。移りゆく時代と都市・農村の変化の中で、彼らがどのようにしてこの古い家を守り続け、百年を超える大邸宅を家族の心を結ぶ「帰る場所」として育んできたのか、その歩みと想いを語ってくれました。

雄本老屋チームと取材を受けた黄明志(左から2人目)、蔡淑娟(左端)との記念写真。

100年の邸宅に刻まれた時代の痕跡

古民家のファサードの壁には黄氏の堂号「紫雲衍派」が刻まれている。正門の両側にあるアーチ状の「大正窓」は、日本統治時代の西洋建築美学を取り入れたデザインである。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

1926年に完成した後壁黄家古民家は、一見すると典型的な七包三式四合院(7つの建物と3つの様式に囲まれた中庭)の建築ですが、その装飾をよく見ると時代を超えた建築美学が読み取れます。中国伝統の合院式(中庭を囲む)配置に、剪黏や木彫といった職人技による装飾。さらに、和風や洋風の意匠を取り入れた円弧形の「大正窓」や六角柱のデザイン、洗い出し仕上げやカラフルなタイル装飾など――この百年の邸宅には、多様な建築要素が巧みに融合しています。その姿は、後壁地域における時代の移り変わりを映し出すとともに、黄家の祖先がこの地に深く根を下ろしてきた歩みを静かに物語っています。

日本統治時代、嘉南大圳の開通によって広大な平原に豊かな水がもたらされました。これを機に、菁寮の商人の子息である黄謀(ホワン・モウ)、黄冬(ホワン・トン)、黄振隆(ホワン・ジェンロン)、黄振德(ホワン・ジェンダー)の四兄弟が後壁に移り住み、事業拡大を目指して「黄振興合資会社」を設立しました。それに伴い建てられた合院は、その後黄家一族が代々住む家となりました。商業経営の多角化に取り組む一方で、黄家は地域の基盤整備にも積極的に尽力しました。医療施設の設立や道路建設のための土地寄贈など、公共への貢献を重ね、やがて嘉南地方において大きな影響力を持つ名家として知られるようになりました。

渡り廊下の六角形のコンクリート洗い出し仕上げの柱は、和洋建築美学を兼ね備えている。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)
古民家内部の緻密な木彫りの装飾が大きな特徴である。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

家族のルーツを守る初心

時代の移り変わりとともに、黄家の一族は枝葉を広げ、若い世代の多くは外の世界へと活躍の場を求めていきました。古い家への思いも、次第に薄れていったのは否めません。黄明志氏はそのことについて、こう語っています「多くの若者が長く故郷を離れて暮らすうちに、“帰郷”という行為がまるで客として訪れるようなものになってしまった。次の世代に至っては、この土地での暮らしの実感さえ薄れているのです」家族のルーツを大切にする思いから、黄明志の父の世代は奔走して一族の共通認識を固め、文化資産として申請することに決めました。2008年、後壁黄家古民家は台南県指定史跡(現在は市定史跡)として公告され、古家の保存のための法的基盤が築かれました。

それでも、黄家一族は古民家の日常的な維持管理を怠ることはありませんでした。専門の人員を雇って日常の室内清掃と庭の手入れを担当させるだけでなく、台風の季節になると、造園会社に依頼して樹木の手入れをし、環境を綿密に点検して、漏水、虫食い、植物の生育による構造への影響などがないかを確認します。

「煉瓦と木造の家は漏水が最も怖いので、4〜6ヶ月ごとに職人に屋根を巡回してもらいます」黄明志氏は笑いながらこう話します。子どものころは屋根の上を自在に登ったり降りたりして、まるで忍者のように「飛檐走壁(ひえんそうへき)」の技を身につけたものだと。若い頃までは自ら屋根に上って点検していたが、今では年齢を重ね、すっかり専門家の力を頼るようになったのだと。また、あの屋根の棟(むね)は一見すると頑丈そうに見えますが、当時は鉄筋を入れずにセメントだけで造られていたため、地震のあとにはひび割れや破損が生じやすく、雨漏りの原因にもなりかねません。そうした点こそ、特に注意を払うべき重要な箇所なのです。

持続可能な運営と地域との共栄

およそ6,000坪もの広さを誇る百年の屋敷では、日常的な維持管理の費用や定期外の修繕費が、どの家族にとっても決して小さな負担ではありません。――祖先の家を長く美しく保ち続けるために、黄家は2010年に「財団法人・黄家古民家文化芸術基金会」を設立しました。古民家の修復と地域の運営・活性化を二本の柱として活動を続けています。資金の運用には一定の規定があるものの、この仕組みによって、公的補助金よりも安定性と柔軟性を兼ね備えた資金源を確保することができました。これにより、日常の経費や小規模な修繕にも十分に対応できる体制が整えられています。

古民家の基礎的な維持管理にとどまらず、黄家は祖先の精神を受け継ぎ、基金会を通じて後壁の地域に新たな文化の息吹を注いでいます。たとえば、後壁の小中学生への奨学金の提供、テニスチームの海外遠征支援、芸術創作への助成など、多様な分野の地域発展を後押しする取り組みを続けています。もともとは奇美グループ創業者の許文龍(シュー・ウェンロン)氏と、前総統府資政の黄崑虎(ホワン・クンフー)氏が中心となって友人たちのあいだで開いた小さな音楽会でしたが、それはやがて毎年中秋の季節に恒例となる「古民家音楽会」へと発展しました。伝統と現代、ローカルとインターナショナル。さまざまな音楽家たちがこの舞台に集い、台湾という島が内包する多彩な文化の響きを奏でています。開催からすでに27年。後壁・黄家古民家の中秋音楽会は、いまや台湾各地から音楽愛好家が集う、島を代表する年中行事のひとつとなっています。

後壁黄家古民家の中庭。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

黄家古民家文化芸術基金会のビジョンは、建物の維持や地域の運営にとどまりません。家族の絆をより強く結び、地域社会とのつながりを深めていくこと。それこそが、この基金会の目指すもう一つの大切な使命なのです。黄明志は、古民家内に展示室を設置し、家族が代々この地で生活してきた中で残された古い品々や文献資料を体系的に一般公開する計画があると述べています。また、「帰郷がもはや“訪問”ではなくなるように」との思いから、基金会では屋敷内の一部の空き部屋を整備し、家族の成員はもちろん、この古民家に縁のある友人たちも短期間滞在できる場として再生する計画を進めています。かつてここで過ごした日々をもう一度思い出しながら、時の流れに薄れかけた“帰る場所”としての感覚を取り戻してもらうことを願っているのです。

一般的な営利目的の店舗や完全公開型の文化館とは異なり、後壁黄家古民家の核心は常に「家」です。「家」という優しい基調を出発点とするこの場所は、「文化継承」や「コミュニティ連携」などの豊かな機能が自然と広がり、記憶を伝え、人々の心を結びつける独特の空間になっています。

「後壁黄家古民家」の物語の全てや他の数多くの古家再生事例は、8月に発売される雄本チームの新刊に収録される予定です。どうぞご期待ください!

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