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城南の心-台中地方文化芸術創作

古家の修復・保存を支援するだけでなく、雄本チームは都市空間の再生と発展にも深い関心を寄せています。なかでも拠点を置く台中という都市に対しては、その次なる歩みと未来のビジョンに大きな期待と情熱を抱いています。2022年3月、雄本チームは縁あって台中市都市発展局および景観総顧問からの招待を受け、参加型設計チームとして台中市政府の「城南の心」プロジェクトに協力しました。このプロジェクトは、交通の複雑さから長年軽視されてきた台中の東・南区に対し、新たな建設工事の前段階で「美学の覚醒」という地域共創を展開するものです。その過程で、近隣の国光小学校や東峰中学校と連携して提案を行い、ワークショップを開催しました。目的は、設計者と実際の利用者が互いの考えやニーズを理解し合うこと。対話やさまざまな素材を用いた発想を通じて、双方が協働し、利用者にふさわしい作品を共に形づくることを目指しました。

東区と南区の産業・経済・文化・レジャーの均衡を図るために進められている「城南の心」プロジェクトでは、周辺の文教エリアと水と緑の空間を有機的につなぐ計画が進められています。その範囲には、国光小学校の興大路側に位置する文化回廊プラットフォームエリア、国光路沿いの生態学習ゾーン、そして仁和路と七中路の交差点にある東峰中学校のビャクチン広場が含まれています。

公共景観工事の施工段階において、地域住民が参加する「コミュニティ型の共創プロセス」を取り入れることは、どの都市の再生・発展においても決して容易なことではありません。それは、ハード面の工事の背後で、ソフト面の社会的プロセスが少しずつ都市の基盤を築いていることを意味しています。同時に、地域の利用者である「人」という存在そのものに焦点を当てた取り組みでもあるのです。まさにこれこそが、雄本チームが思い描く「都市と人との関係」です。そして私たちは幸運にも、その一端を担うことができました。台中の東区・南区の再生に、ささやかでも力を尽くせたことを誇りに思います。

ワークショップでは、雄本チームが植物アーティストの「花婆婆」こと陳杏芬(チェン・シンフェン)先生、そして力野茶陶所のアスさんとミトさんを招き、国光小学校の先生や生徒たちとともに「空間観察」を行いました。参加者たちは、将来それぞれが異なる場面でどのように感じ、どんな問題に直面するかを想像しながら、初歩的な空間イメージを築いていきます。その後、各自の観察結果をマインドマップの形式でまとめ、「空間シナリオ」として発表。全員の意見を統合し、最終的な空間提案を作り上げました。最後に、スチロール、小石、アルミホイル、竹箸、積み木など多様な素材を使って空間模型を制作し、構想を具体的な形にしました。こうして観察から作品発表までの一連のプロセスが完成したのです。

東峰中学校の生徒たちも、植物スタンプの陶板ワークショップに参加し、学校の周辺の生態景観を学んだり、さまざまな植物の枝葉や果実を使ってオリジナルの陶板を制作したりしました。これらの陶板は将来、景観用の石製ベンチの脇に設置され、キャンパスの一角を彩る予定です。美育の成果を示すと同時に、校内の更新・改修に対する学生の参加意識も高めます。また、学生の立場にとどまらず、東峰中学校の先生方も視点を切り替え、生態科の教員・学生・キャンパスの管理維持者など、校内の多様な役割になったつもりで敷地を観察・思考し、ニーズ主導の空間設計や景観家具の配置について発想を深めました。

学生たちの提案には、自由奔放で想像力あふれるアイデアが数多く見られ、一方で先生たちの敷地周辺に対する観察は、きわめて繊細で洞察に満ちていました。チームはプロセス全体を通して、各段階の成果を記録・整理し、それらを実際の工事で使用する建材や設計動線と総合的に照らし合わせました。その結果、将来国光小学校と東峰中学校の先生や生徒たちが共に使う校内空間は、みんなの協働の証として形に残ると同時に、日常生活の中で本当に使いやすく、心地よい場となることを目指しています。

曲巷冬晴-彰化県古家活性化プロジェクト

およそ2年前、小本チームは一件の特別な古民家保存プロジェクトを引き受けました。準備、修繕、整備の年月を経て、ついに今年の春、その努力が実を結びました。私たちの古家民宿、「曲巷冬晴 Sukina B&B No.1」が完成したのです。鹿港の九曲巷内の金盛巷52号にあるこの漢式古家は、20年以上荒れたままになっていました。空間計画の最適化を考慮し、六角タイル、木製の丸梁、赤煉瓦の壁など、古家本来の特徴を保存しました。老朽化して使用できない部分を修復し、新しい構造を支える鉄骨を設置して光を取り込み、路地にある古家の採光不足という欠点を改善しました。古家を愛する旅人に、快適で趣のある宿泊体験を提供します。

古家の活性化における課題

「先祖から受け継いだ古家を、どうしたら適切に活用できるでしょうか」遠方に住む現在の家主から漏れ聞こえる疑問と不安、修復した古家の将来的な再利用方法を知ることも評価することもできないという困難な状況。

自分たちだけでは、この古家の未来をすべて見通して計画することは難しい、そう感じていました。せっかく修復した空間を他人に任せれば、きちんと大切に扱われ、建物の文化的価値を活かしてもらえるのかという不安も残ります。整理しても落ち着かず、整理しなくても前へ進めない。そんな板挟みのような葛藤が、幾重にも重なっていったのです。

計画と統合、転身と再生

言い換えれば、家主は家族の古家を保存したいという思いはあるものの、「修復」と「再利用」を同時に満たせる良い解決策が見出せていませんでした。家主が解決策を模索する過程で、私たち雄本老屋の部門横断チームの専門的な「統合」能力が力になり、家主にこの核心的な問題の解決方向を提供しました。

古家の健康診断や文史調査、建築空間の修繕・インテリアデザインの専門分野にとどまらず、計画立案から行政による支援・補助制度の活用までを総合的に評価・設計。ハード面での修復や設計だけでなく、ソフト面での再活用・運営計画の策定と実行にも力を注いでいます。そうして再生された古家は、単に空間が新しくなるだけでなく、時代とつながり、持続可能な未来へと向かう生きた場として息づいているのです。

古家を愛する旅人のために、金盛巷52号「曲巷冬晴」がくつろぎと安らぎの場所を提供できることを願っています。曲がりくねった九曲巷は、鹿港の9月の季節風を遮り、冬でも春のように暖かく静かです。ガジュマルの木陰で涼みながら、見上げれば青空と緑の葉が揺れている。裏庭ではお茶を淹れたり湯に浸かったり、冬には焚き火を囲んで小さな酒を温める。

地域の古家の「転身と再生」は容易ではありませんが、私たちと家主が話し合って実践した総合的な解決策が、より多くの人々に心からの微笑みをもたらすことを願っています。私たちがいつも語っていること。「家は人がいてこそ輝きます」鹿港の「曲巷冬晴」は、皆様のご来訪をお待ちしております。共に生まれ変わった古家へ足を踏み入れましょう。

長源医院-私有歴史建築保存再生プロジェクト

記憶を担う古家と古いものたち

「物が長い間隅に積み重ねられて忘れ去られると、本来の価値も徐々に消え、最終的には空間を占める廃棄物になってしまう」家具を一つ一つ分類し、過去を振り返る中で、長源医院の4代目家主である許正園医師は古いものが捨てられることへの惜しさを感じたままに吐露し、この歴史建築とその中の思い出をまだ気にかける人がいることに感謝しました。

長源医院の修復工事が始まる前、雄本老屋は家主の協力のもと、屋内に残された文物を丁寧に梱包・保管し、時の流れの中から失われかけていた記憶を掬い上げました。修繕の過程では、かつて朽ちていたもの、埋もれていたもの、さらにはすでに取り壊されていた構造までもが、歴史資料や古写真の検証によって次々と本来の姿を現していきました。こうして古家と古い品々は長い眠りから目覚め、埃を払い、再び人々が行き交う街角へと戻ってきました。斜め向かいに建つ歴史建築・玉珍斎とともに、鹿港の象徴的な交差点の風景を織りなしています。

2020年、長源医院の文物収蔵倉庫には、古い建物から運び出された家具や日用品が並べられていました。記録と整理の過程で、許正園医師は父親が残した多くの古い写真や資料を発見しました。さらに文化財調査を進めるなかで、幼い頃の記憶をたどりながら、小学生時代に身につけていた最初の腕時計を見つけ出しました。半世紀の時を越えても、ベルトの弾力はそのままに、止まった針はまるで時を封じ込めたかのように静かに佇んでいました。手首の上で凝り固まっていた時間がふたたび温もりを帯びるにつれ、許医師の表情もやわらぎ、子どもの頃にティトニの腕時計をつけたときのあの胸の高鳴りを、仲間たちと笑顔で語り合いました。

トタン屋根の下の新発見

ティトニの無傷の姿とは対照的に、これらの品々を守り続けてきた長源医院の建物は、長い歳月のあいだに深刻な漏水やシロアリ被害、そして壁面の膨張や剥離といった問題を抱えるようになっていました。やむを得ず、許家の祖母・施秀香さんは、工事業者に依頼して屋根を鉄板で覆い、雨漏りを防ぐことで、ひとまず建物維持の悩みをしのぐしかありませんでした。

天井からの雨漏りは防げたものの、鹿港の湿気はいたるところに入り込み、閩式(びんしき)街屋の木製丸梁の端部を腐らせ、そこにシロアリが巣を作って棲みつくようになっていました。修復チームは当初、30本の木梁を交換する計画を立てていましたが、実際に鉄板を取り外して構造の状態を確認したところ、損傷が予想以上に深刻で、最終的には交換本数を70本に増やさざるを得ませんでした。修繕後の煉瓦壁と木梁には十分な防水処理が施され、建物の耐用年数を大きく延ばすことができました。また、風化して崩れていた屋根の白灰製の天溝は、現代の工法を取り入れてステンレス材で再構築され、排水機能が大幅に向上しています。

建築物の損傷程度を再評価するだけでなく、修復チームは工事の過程で多くの驚くべき発見をしました。

屋根の棟木のトタンが取り外されなければ、その中に覆われていた装飾物が日の目を見ることはありませんでした。精巧な透かし花タイルやレリーフ模様には、先人たちが家族の繁栄を願った思いが込められているだけでなく、建築当時に流行していた装飾様式も映し出されています。これら貴重な意匠を保護するため、修復チームは3Dスキャン技術を用いて建築の細部をデジタル化し、そのデータをもとに屋根棟の再構築を行いました。もともと脆弱だった構造部分は評価のされた上、取り外され、展示品として保存され、竣工展では来場者が間近でその精緻なディテールを鑑賞できるようになっています。

フィルムに刻まれた光で、建築の姿をよみがえらせる

鹿港は夏に雨が多く、冬には強い風が吹くため、独特の「不見天街(ふけんてんがい)」という街並みが形成されました。街道の両側に並ぶ商家が、互いに軒を連ねて「街路亭」と呼ばれる長い屋根付き通路が作られ、煉瓦の床が敷かれ、歩行や集いの場として人々に利用されていたのです。「不見天街」は1934年の市区改正の際にすでに取り壊されてしまいましたが、当時の住民が屋上から撮影した古い写真が残されており、それらは現在、建物調査における貴重な参考資料となっています。

修復チームは、許家の祖母・施秀香さんの聞き取り記録を手がかりに、長源医院の一番手前の棟のファサード、第二・第三棟の通路部分、そして後方の屋根勾配上に、老朽化して損傷した煉瓦舗装をいくつも確認しました。古写真や歴史資料と照らし合わせた結果、それらがかつての「街路亭」の延長構造であったと推定され、修復工事では地面の煉瓦を再敷設し、さらに通路部分に残っていた古い煙突も修復されました。

歴史写真を通して見ることで、長源医院のかつての建築デザインだけでなく、当時の鹿港の人々の暮らしぶりまでも垣間見ることができます——そして、古建築の再生もまた、その延長線上にあるのです。「異なる時代に築かれた建築空間が、老朽化を理由に取り壊されることなく残されるとき、歴史は自然と日常生活の中に溶け込み、やがて都市の風景の一部となっていく」まさに、雄本老屋の総顧問・謝佩娟(シェ・ペイジュエン)氏が長源医院について述べたように──かつて失われた記憶や建築の構造は、地域文化を形づくる大切な断片であり、それらを再び見出すたびに、現代の暮らしとの新たなつながりが生まれていくのです。

長源医院の閩式街屋の第二・第三棟の通路部分は、かつてトタンで覆われていた。
修復工事の後、屋根には再び瓦と煉瓦が敷き詰められ、古い煙突も元の姿を取り戻した。