「この古い建物の修復であれ、ここで行う活動であれ、私たちはいつも――“命よりも長く残ることをしたい”――そう願っています」日本統治時代の製粉工場、数十年にわたり香りを漂わせた路地の麺屋、そして今、街の多様な暮らしを受けとめるシェアスペースへと姿を変えた台南・小轉角ArtDeCorner。そのしなやかな転身を支えているのは、和光接物環境建築設計チームの、シンプルでありながら深い理念にほかなりません。
今回、雄本老屋チームはこの古家の物語を書籍に収録するために南下し、和光接物の主任建築士・黄介二と鍾心怡、そして小轉角の運営責任者・李宜蓁を訪問して、彼らが府城台南の中心部にある歳月の変遷を秘めた空間の中で、日常と歴史の温もりをどう共存させているか伺いました。

予期せぬ理想の生活との出会い

この地に定住することを決める前、台南は、黄介二や鍾心怡にとって、地図上でよく知る名前に過ぎず、生活の場ではありませんでした。それぞれ宜蘭と新竹で活動していた建築家夫妻は、一緒に暮らし始めるために、師匠の勧めを受け、この街へと移り住みました。いくつもの偶然と縁が重なり、心身を落ち着ける理想の拠点と出会うことになります。
縁は偶然の知らせから始まりました。2008年、建築士・鍾心怡は、博士課程の同級生から隣家の洋館が1ヶ月前に空いたと聞き、2人でバイクに乗って訪問することにしました。この洋館と、通りの向かいで麺店を営んでいた古家(後に小轉角となる)は、当時どちらも凃家の所有物で、家族の養女である范夫人が管理を任されていました。范夫人の紹介で、二人は台北に住む塗老先生と面会し無事に洋館を借り受け、以後十数年にわたって自宅兼アトリエとして使うことになります。
二人の記憶に残る塗老先生は、つねに日本統治時代の紳士のような優雅さを保ち、スーツに帽子を合わせ、杖を手にして来訪されるたび、必ず手土産を忘れない方でした。のちに范夫人が亡くなったあと、高齢となった塗老先生は夫妻に真摯に願い出ます。――麺屋の建つ土地と建物を、あなたたちに譲りたいのだ、と。
塗老先生は率直に語りました。家族の子孫たちの多くはすでに別の土地へ移り住んでおり、この思い出の詰まった先祖伝来の財産を、見知らぬ他人に託すわけにはいかないと感じたのです。そこで、二人が負担できる価格で譲り渡すことを決め、「ここで腰を据えて暮らし、自分たちの住みたい家を建て、長く台南に根を下ろしてほしい」と願いました。
台南でのこの“根を下ろす”過程を振り返りながら、黄介二建築士は笑みを浮かべて語ります「まるで家が私たちを探していたような感じです」と笑いながら言いました。二人は、この土地に建っていた古い家屋を取り壊す道を選びませんでした。建築家としての専門性を生かし、自ら修復と再生に取り組むことで、この得がたい信頼の思いに応えようとしたのです。



旧製粉工場の現代的な息吹
大埔の街角に佇み、質素で温かみのある外観の「小轉角 ArtDeCorner」は、数世代の生活の記憶を担っています。古い家の物語をたどるなら、時をほぼ一世紀前へと巻き戻さねばなりません。機械の駆動音や、働く人々の掛け声が響いていたあの頃から、話を始めることになるのです。
1927年に建てられたこの古い建物は、もともともち米粉の製粉工場として造られました。その後、澎湖から移り住んだ塗家が買い取り、「錦昌製粉工廠」と改名。さらに、建物の一部は他の小規模な工場にも貸し出されていたといいます。時代の移り変わりとともに、工場の灯はやがて消え去り、建物は塗家の養女・范夫人とその夫に引き継がれました。彼らはそこを街の一角を温める麺屋として営み、およそ六十年にわたり、湯気立つ一杯の麺で台南の人々の郷愁と記憶を育んできたのです。范夫妻が亡くなったあと、産業の興亡と人々の温もりを見つめてきたこの古い家は、ついに静寂へと帰しました。けれどもその静けさは終わりではなく、やがて和光接物のチームによって、再びその内に眠る生命力が呼び覚まされることになるのです。


しかし、古家の再生への道のりは必ずしも順調ではありませんでした。凃氏の想いが詰まった古い家を買い取ったものの、2人の手元資金は修復工事を支えるには不十分でした。途方に暮れていた時、台南で発生したデング熱の流行が、思いがけず変革のきっかけとなります。
室内に雨水がたまり、蚊やハエが発生するのを防ぐためにも、損傷した屋根は早急に修復する必要がありました。ちょうどその頃、新たに始まった文化部の「民間所有の老建築保存・再生計画」が、この建物に一筋の希望の光をもたらしたのです。当時、和光接物のチームは社員旅行でフィンランドを訪れていました。急きょ雪国の図書館を作業拠点にし、締め切りぎりぎりのタイミングでようやく申請書を提出することができたのです。この補助金に加え、台南市の歴史街区及び老屋振興補助プロジェクトのリソースもまた小轉角の再生を後押ししました。
2020年、修復工事が正式に始まります。和光接物のチームは、前棟の屋根を解体する過程で、天井の上に木造の屋根裏部屋が隠されていることを偶然発見しました。そこで修復工事では、その構造を再現するとともに天窓を新設し、陽光が木の梁のあいだに降り注ぎ、かつて湿って暗かった室内をやわらかく照らす空間へと生まれ変わらせました。さらに、壁を覆っていたトタン板をはがすと、内部からは煉瓦で築かれた切妻壁が姿を現し、数十年にわたる補修の痕跡――新旧の煉瓦が交錯する境目――が、そこにはっきりと刻まれていました。この古い建物を支えている「ススキ壁(菅蓁牆)」の構造は、一部をあえて露出したまま残し、歴史の断片として展示されています。訪れる人々はそこから、かつての人々が身近な自然素材を巧みに生かして建物を築いた知恵を垣間見ることができます。
街角で出会う生活の本質
2年以上に及ぶ設計計画と修復工事を経て、かつての製粉工場は2022年に「小轉角 ArtDeCorner」として生まれ変わりました。周囲の街並みの肌理にいかに自然に溶け込ませ、街区の日常のリズムを乱す観光スポットにしないか――それこそが、修復の過程で和光接物のチームが繰り返し思索を重ねてきた課題でした。この段階に入り、チームメンバーの李宜蓁(リー・イージェン)の役割が次第に明確になっていきました。彼女は自身の専門性と情熱を生かし、〈小轉角〉に繊細であたたかな独自の魂を吹き込んだのです。


建築を専門とする李宜蓁(リー・イージェン)は、同時に料理や手仕事、そして暮らしの美学にも深い情熱を注いでいます。小轉角の運営初期、李宜蓁はここで半年間にわたる集中的な試みを行いました。製粉工場としての歴史に応えるように米食をテーマにした弁当を企画・販売し、市場イベントや講座、展覧会も開催。空間には多くの人が訪れるようになりましたが、常時開放による運営上の負担も大きく、チームは一度歩みを緩め、原点を見つめ直す決断を下しました。
いまの小轉角は、ひとつのかたちに定義されない多様な場として息づいています。外部に開放していない日は、和光接物建築事務所の延長空間として機能し、扉が開かれると、現代の創造性が自由に表現される舞台へと姿を変えます。講座や展覧会などの企画を柔軟に行い、より軽やかで持続可能なかたちで、この場所に日々の息づかいを絶やさず吹き込み続けているのです。

賑わうイベントと静かな日常、そのあわいの中で、小轉角はもうひとつの意味を映し出しています。それは、古い建物という空間を修復するだけでなく、街区と建築、人と記憶のあいだにある複雑で繊細な関係そのものを、そっと紡ぎ直していくということです。建築士・黄介二はこう語ります。家主である塗老先生の葬儀のあと、塗家の遺族が小轉角を訪れ、チームのメンバーたちが温厚で品格ある紳士について懐かしく語り合うのに耳を傾けていたのです。彼らは驚きました。自分たちの記憶の中で、いつも厳格で寡黙だった父親とはまるで別人のようだったのです。まるでこの空間を通して、記憶の中に隠れていたもう一つの姿を垣間見たかのようでした。
和光接物チームにとって、小轉角の一番の価値は、もはや建築物そのものではなく、かつてここで紡がれた物語が痕跡を残し、縁のある人々が何気ない街角で生活の本質に出会うことなのかもしれません。
「小轉角 ArtDeCorner」の物語の全てや他の数多くの古家再生事例は、8月に発売される雄本チームの新刊に収録される予定です。どうぞご期待ください!