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使われなくなった宿舎が、三者協働の創生拠点へ
「旗津技工舎」に見る非典型的な再生の歩み

2025 / 07 / 23

「学校が運営する活用スペースに、少しずつ地域住民や地元の職人、そして若い世代が関わり合いながら、『学校の教員と学生、地域住民、旗津の若者』の三者が共に築く持続可能な仕組みをつくりたい――そう願っています」「技工舎|旗津社会創生拠点」の修復と再生の道を振り返って、李怡志氏はそれが決して容易な道のりではなかったと語ります。現在のように地域が強く結びつく背景には、数多くの計画の実行と、参加者による長年の地道な取り組みの積み重ねがありました。その努力が実を結び、港の島・旗津に新たな再生の旗が掲げられたのです。

本書の準備期間中、雄本老屋チームは中山大学USR計画の共同ホストである李怡志氏にインタビューを行いました。かつて荒廃していた宿舎群を、師生たちがどのように教育実践の場として位置づけ、地域の日常の織り目を少しずつつなぎ合わせ、伝統技術を再興し、古い建物と周縁のコミュニティにふさわしい現代的な意味を与えていったのかを伺いました。

李怡志教授(右から3人目)と雄本老屋チームの集合写真。

沙洲半島の漂泊と棲居

技工舎は、日本統治時代に海軍倉庫が置かれていた跡地に位置し、「海第四造船所(通称:海四廠)」の技術者たちが自らの手で建てた宿舎群です。その敷地には、長い年月を経た歴史の層が刻まれています。(映像提供/原間映像工作室・朱逸文撮影)

旗津半島にあるこの地は、かつて日本海軍の倉庫があった場所で、建物の多くは第二次世界大戦の戦火によって失われました。戦後、中国・南京の「海軍浦口工廠」の軍民がこの地に移り住み、「海軍第一工廠」を設立(1957年に「海軍第四造船廠」へ改称)。倉庫跡に自らの手で家を建て、南北二棟の独身技工宿舎と附属施設、そして周囲には次第に既婚軍人の家族住宅(眷舎)が形成されていきました。この土地には、造船所の技術者だけでなく、左営軍港の拡張により移り住んだ下蚵寮の人々や、政府とともに台湾へ渡った大陳島の住民たちも暮らしていました。多くの漂泊の命がここにたどり着き、一時の安住を見出したのです。

しかし1995年、眷村を襲った大火と続く国軍の組織再編によって、住民や退職技工たちは次々とこの地を離れました。かつて活気に満ちていた宿舎群と眷村は次第に荒廃し、雑草に覆われ、野良猫や野犬が集まる寂れた一角となりました。複雑な土地所有権の問題もあり、再利用には多くの制約がありました。そして2014年、地域の人々の尽力により、旧・海四廠独身技工宿舎は中山大学社会学科の「大学社会責任(USR)」実践拠点となり、崩れかけていたその運命は新たな方向へと動き始めました。

それは、まるで一艘の舢舨船(サンパン)から出発した、小さくも確かな再生の物語でした。

初めて技工舍に足を踏み入れた時の状況を李怡志教授は鮮明に覚えています。それはほとんど人を寄せ付けない荒れ果てた光景でした。「その時、何をしたら良いのか、わからなくて途方に暮れました。長年放置された宿舎群はボロボロにいたみ、地面は泥だらけ、草は腰まで伸び、屋根に敷かれていた石綿瓦は雨水で腐っていました」2,000坪にも及ぶ広大な廃墟を前にしても、中山大学の教員と学生たちはその姿にひるむことなく、むしろ最も時間のかかる、しかし最も着実な「非典型的な再生の道」を選びました。それは――数多くの小さなプロジェクトを積み重ねながら、技工舎の再生という大きな夢を少しずつ育てていくという方法でした。

チームはすぐに建物のハード面の修復に取りかかることはせず、地域文化の復興から着手しました。まず「地域文化の復興」から歩みを始めたのです。かつて旗津の主要な海上交通手段であった「舢舨船(サンパン)」の記憶をつなぐため、高雄海洋科技大学(現・高雄科技大学)造船学科と連携し、伝統技術を継承する董明山師匠を招いて造船技術を学びました。こうして、ほとんど失われかけていた民渡(みんと)文化が、技工舎の建物群のあいだで再び帆を上げたのです。同時に、廃墟に対して地元住民が抱くネガティブな印象を変えるため、チームは外部資源の導入にも積極的に取り組みました。助成金を申請して敷地内の舗装整備を進める一方、社会学の視点から地域に深く入り込み、フィールドワークを通して人々の物語を記録。さらに「ビジョン・ワークショップ」を開催し、将来的な空間利用のあり方を住民の想像や希望に寄り添うかたちで探りました。

取材に応じてくださった李怡志教授(右端)に感謝。
取材地の旗津輪渡站では、一部が技工舎の職人作品の展示販売プラットフォームとして計画され、「店舗前面、工房後方」という理想的な構造を形成している。

教育実践の場としての多様な可能性

理論的な基盤と地域社会との関係が次第に確立されていくなか、次のステップとして、空間に持続的な運営の力を吹き込む試み――「技工舎フェスティバル」(現・循環グリーンライフフェス)が誕生しました。教員と学生たちはインスタレーションアートの形で地域の物語を解釈し、授業の成果を盛大な年次祭典へと変換させ、地域内外から注目を集めることに成功しました。とはいえ、未修復の古家を使用するためには、多くの克服しなければならない課題がありました。李怡志教授によれば、最初の宿舎棟に新しいトタン屋根を張り替えた直後、台風が建物を直撃し、屋根ごと壁まで吹き飛ばされてしまったといいます。イベントの開催中には、破れた箇所を布で覆ってしのぐほどの状況でした。しかしその苦労の過程こそが、チームの強靭な生命力を育む糧となったのです。

2021年には、中山大学の学生たちによって「技工前進隊」が正式に発足。複数のプロジェクトを束ねて、空間の修復に本格的に取り組み始めました。まず文化部の「青年村落文化行動計画」による限られた資金を活用し、地域大学のボランティアと協力して食堂の整備を少しずつ進めました。さらに、国家発展委員会(国発会)の「地方創生青年エンパワーメント拠点」事業の支援を受け、「大港校CC」プロジェクトを推進し、入居者の専門的なスキル育成にも力を注いでいます。

技工舎「第一寝室」は現在、コミュニティの多機能教室として使用されている。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)
「技工浴場」は現在、山津塢チームが入居し、大漁旗文化の保存拠点となっている。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

チームは、場の持続的な運営体制の構築にも取り組みました。初期段階では、空間を職人たちに提供し、創業初期の負担を軽減。さらに、学内外のリソースを積極的に結び付け、安定した発展を支援するとともに、専門性と社会的つながりの深化を図りました。やがて職人たちが自立の基盤を築くと、園区の維持管理費を利用者が共同で負担する仕組みを段階的に導入。その結果、技工舎は自ら運転できる持続的なモデルへと進化しました。

また、Uターンした若者を支援する体制を築くなかで、技工舎にはさらに多様な連携が生まれました。高雄師範大学の「旗津灶咖」や高雄医科大学の「シルバー・フィットネスクラブ」など、他大学のチームも参加し、学術的な知を地域サービスへと転化。食と漁業教育、高齢者ケアといった地域課題への関心を形にしています。

「技工食堂」の現在の様子。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

技工舎の古い建物のあいだを歩けば、季節の祭りがない日常には賑わう人波こそ見えなくとも、その空間は決して空虚ではありません。職人が木を打つ音、年長者たちが食卓を囲むあたたかな笑い声、そして若き学生たちの往来が、かつて忘れられていた建物群に新たな命を吹き込んでいます。時間はかかっても深みのある一連の社会実践を通じて、技工舎はすでに地域に根ざし、記憶を育む「有機体」へと変貌を遂げ、地域の創造性を育み、社会のニーズに応えており、変化を待つ無数の古い空間に対してもレジリエンスに満ちた解決策を提示しています。

「旗津技工舎」の物語の全てや他の数多くの古家再生事例は、雄本チームの新刊に収録される予定です。どうぞご期待ください!

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