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保守x革新:今日の廃墟から明日の輝きへ

2024 / 10 / 30

古家再生の過程において、かつての使用の痕跡を残すべきか、あるいは取り除くべきか。それは修復チームが何度も自問し続ける課題であり、同時に、人々がこの再生を通じて受け継ぎたいと願う文化や美学の価値を映し出す問いでもあります。修復と再生を通して、歴史的な場が担う都市の記憶を永遠に流れる歳月の中で伝えていくには、どうしたらいいでしょうか?また、空間の細部を通して、半世紀後には歴史となる今この瞬間を時代の証として残すには、どうしたらいいでしょうか?

本年度、高雄市文化局の招待を受け、雄本老屋は一連の「好市開講」文化資産推進シリーズイベントの開催に協力しました。今回は浩建築士事務所の主任建築士・林光浩を逍遙園の大防空壕に招き、「保守x革新:今日の廃墟から明日の輝きへ」をテーマに、これまで貫いてきた信念と、2023年国家文化資産保存賞の受賞作品「高雄市歴史建築逍遙園」の修復経験を共有してもらいました。

建築士・林光浩は、チームが十数年にわたって手がけてきた新旧空間設計プロジェクト(台南庁長官邸、高雄黄埔新村、台南本田三一邸等歴史建築から、都市部の純粋な現代的パブリックアートまで)について語り、国内外の文化資産保存事例を参照しながら、歴史建築の修復と再生が現代社会にもたらす意義をさらに考察しました。

時代の流れの中の古家と旅人

更地に新しく建物を建てるのとは異なり、既存の空間を基盤として行う文化財修復は、建築家にとってより深い歴史の重みを伴うものです。その施工の細部に至るまで、学者や専門家による綿密な検討が重ねられ、最終的には厳密な工法によって建物本来の美しさが丁寧に再現されます。しかし、古家再生の目標は、完成当時の姿を再現するだけにとどまりません。「時間の軌跡の中で、私たちは皆が旅人なのです」建築士の林光浩(リン・グアンハオ)氏は、木や石、煉瓦や瓦といった素材は、長い年月のあいだにどうしても釘の跡や鑿(のみ)の痕、さらには風化の痕跡を帯びていくものだと語ります。しかしそれこそが、古い建物を「時間の器」として存在させるものであり、細部に刻まれた痕跡のひとつひとつが、積み重ねられた施工の歴史と豊かな層の深みを静かに物語っているのです。従って、建築士が修繕工事において新旧の境界を残すことができれば、数十年後にはそれが歴史を伝え、後世の人々が物語を構築する材料となるのです。

東京の「旧帝国図書館」を例にとると、この1906年に落成したルネッサンス様式の建築は、当初は口の字型の設計でしたが、戦時中の資源不足のために1/3しか完成しませんでした。空間が次第に手狭になると、1995年に著名な建築家・安藤忠雄が修復工事を行い、新たにガラスボックスを増築しました。建築士は現代の防火、耐震、バリアフリー機能を取り入れるだけでなく、明らかな「施工の継ぎ目」をあえて残し、よく観察すると2度の工事の時間的差異を発見できるようにしました。

東京の「旧帝国図書館」は今では国際子ども図書館となっている。ファサードのガラスボックスは1995年の修復工事で新設されたもの。(画像出典/Wikimedia Commons, Photo by Kakidai, https://reurl.cc/vvML0o)
群馬県の「富岡製糸場」西置繭所内では、鉄骨とガラスの部屋で建物の模様を保存している。(画像出典/日本文化庁、文化財建造物保存技術協会撮影、https://www.bunka.go.jp/kindai/repairs_03/index.html)

世界文化遺産の一つである群馬県の「富岡製糸場」は、日本が工業化社会へ進む過程を見てきました。2020年に完了した修繕工事では、建築士は空間を完全に刷新するのではなく、鉄骨とガラスの部屋で耐震システムを強化すると同時に、建物が数十年間で自然に老朽化した姿も展示している。特筆すべきは、製糸場の壁面の漆喰施工方法には多くの不備があるにもかかわらず、それらも文化遺産として保存され、明治維新時代に日本人が積極的に近代化技術を学んだ軌跡を振り返るものとなっていることです。

「似せる」修復精神の実践

建築士の林光浩氏が手がけた保存事例「逍遙園」に話を戻すと、この和洋折衷様式の建物は1939年に竣工しました。もともとは、日本の西本願寺派法主・大谷光瑞(おおたに こうずい)の短期滞在用の邸宅として建てられたものです。戦後、この周辺の実験農地は一時、802病院の宿舎として使用され、その後「行仁新村(シンレン・シンツン)」に区画されました。かつて華やかだった邸宅は、やがて軍人や民間人が自力で建てた住居群の中に埋もれていったのです。しかし2008年に国防部が眷改条例を推進したことを契機に、行仁新村と逍遥園の存続問題が注目されるようになりました。そして2010年、高雄大学の陳啓仁教授や黄朝煌先生らの調査研究と保存活動により、ついに高雄市の歴史建築として登録されたのです。

高雄市の歴史建築「逍遙園」は建築士・林光浩が修復した歴史建築の一つ。(画像出典/Wikimedia Commons, Photo by Zu3612403, https://reurl.cc/mygNz9)

林光浩建築士事務所は2017年に修復工事に着手し、趙崇欽建築士による設計の基礎を受け継ぎながら、3年をかけて空間の修繕を完成させました。修復工事が始まる前、逍遙園の屋根はすでに崩壊し、内部の金属や木造建材の多くは盗難に遭っており、建物の姿は周囲に有機的に増設された構造物によって不明瞭になっていました。幸いにも、日本の研究者たちが当時の絵葉書(いわゆる明治・大正期のポストカード)を多数提供してくれたおかげで、チームはその歴史的な写真資料を参照しながら建物外観の復元を行うことができました。修繕の過程では、日本と台湾の職人たちが幾度も交流を重ね、国内では希少となった網代天井(あじろてんじょう)、柿葺(こけらぶき)、左官工事などの伝統技術を伝承しながら、厳密な工法によって「逍遙園」の往年の姿を甦らせました。

修復は「似せる」ことが建築士・林光浩の修復原則であり、修復後の構造が環境全体と一体化することを確保する前提のもと、時間の経過による質感の違いも創り出しています。「逍遙園」の修復工事では、チームは可能な限り既存の建材を保存しました。古い資材の中には小片や角材として再加工する必要があるものもありましたが、建物が再生した後もそれらが再び活かされるよう工夫されています。また、外壁の塗装には当初の配合を踏襲し、三酸化二クロム(Cr₂O₃)を含む塗料が使用されました。修復完了から年月を経るにつれて酸化還元反応が進み、淡い緑色が少しずつ色あせていくことで、将来的にはこの変化そのものが、建物の歴史的時間を示すひとつの手がかりとなっていくでしょう。

「歴史建築を完全に元の姿に戻すことだけが保存と修復なのでしょうか」講座の結びに、林光浩建築士はこう問いかけ、古家の修繕に取り組んできた中で蓄積した知見を共有しました。歴史建築の文化的価値はそれが担う記憶にあるからこそ、修繕のたびに建築物の「時代性」と「使用ニーズ」を繰り返し確認し、それに基づいて建築構造、機械電気設備、空間の雰囲気を統合することで、歴史的空間が過去と未来を繋ぐものとなり、修復時点での意義も保たれるのです。

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