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複数選択可:文化資産の保存と地域共生

2024 / 10 / 04

都市の近代化の波の中で、産業構造と生活様式は急速に変化し、かつての田園、鉄道、古い工場や歴史建築は、発展の過程で否応なく取り残された旧時代の産物のようになっています。実際、これらの歴史的空間は人と土地の相互作用の具体的な軌跡であるだけでなく、地域のアイデンティティを確立する重要な基盤であり、各都市のかけがえの無い物語を伝えています。

ナショナル・ヘリテージ・デーを迎えるにあたり、雄本老屋は高雄市文化局の招きを受け、第1回「好市開講」文化資産推進シリーズ講座を開催しました。今回は、中原大学建築学科の林曉薇(リン・シャオウェイ)教授を招き、捌邸樓老屋カフェにて「複数選択でもいい:文化資産の保存と地域共生」と題した講演が行われました。講演では、文化資産の保存と活用を通じて地域の持続的な発展を促す可能性について語られました。林曉薇教授は、長年にわたり台湾における文化ルートの統合推進と調査研究に力を注いできました。今回の講座では、産業文化資産(工業遺産)の価値を分析し、国内外の実際の活用事例を紹介。そこから、現代都市と文化資産とのつながりについてさらに深く掘り下げました。

都市の根底に埋もれた産業文化資産

文化資産保存と地域の発展の課題を振り返ると、『ヴェニス憲章』の制定以来、国際的には単体の史跡を懐古的に修繕する概念から徐々に変化し、歴史的街区や集落の現代社会においての再生戦略へと思考が転換してきました。この傾向の影響を受け、台湾政府は1982年に『文化資産保存法』を公布し、その後の法改正では「文化景観」のカテゴリーも取り入れ、保存の概念をより広範な歴史的資源の範囲へと拡大しました。1990年代に展開された産業文化資産調査は、その後の「産業文化資産再生事業プロジェクト」や「産業文化路線イニシアチブ」などの活動をさらに促進し、台湾各地の鉱業、林業、塩業、製糖業、酒造業などの産業における採収、加工、生活の場を徐々に結びつけ、「ストーリーテリング」に適した歴史的景観を構築しました。

「産業文化資産の価値は、一集団が共に生産し、生活した文脈を体現することにある」と語る林暁薇教授は、雲林虎尾製糖工場を例に挙げ、加工区域である製糖工場は周辺の原料生産地であるサトウキビ畑やサトウキビを運搬する軽便鉄道、従業員が住む宿舎区、そして製糖工場の集落によって設立された病院、理髪店、公園などの公共施設と密接に関わっていることを説明しました。体系的な保存、翻訳、連携によって、関連テーマに興味を持つ人々の土地への関心を引き起こすだけでなく、活性化のエネルギーを地域に呼び込み、地域の持続可能な運営と再生を促進することができるのです。

雲林虎尾製糖工場は台湾に現存する唯一の台湾糖業鉄道でサトウキビを運搬する製糖工場であり、軽便鉄道の独特の景観が地元の観光スポットとなっている。(画像出典/台湾糖業社)

産業文化資産の再生事例

ドイツの「カルチャー・ブリュワリー(文化醸造所)」は、現在では文化と商業が融合した複合空間として活用されている。写真の象徴的なコーナー建築は、地域の高齢者たちの交流拠点となっている。

林暁薇教授によると、現在の国内外の産業文化資産の保存戦略は、単一地点の保存からネットワーク連携へと進化しているだけでなく、公共・民間部門との協力も頻繁に行われ、その歴史的価値と分野横断的な専門知識を統合し、多様な文化的商業モデルで空間を運営するようになっており、その代表的な事例の一つがドイツの「文化醸造所(KulturBrauerei)」です。43基の氷窖(ひょうこう)と19軒のバー、さらに多数の鉄道貨車や馬車を擁する巨大な施設群を有していたドイツの文化醸造所(KulturBrauerei)は、1920年代には世界有数の規模と生産量を誇る淡色ビールの醸造所として知られていました。まさに、19世紀産業建築を代表する存在といえます。

1967年の生産停止後、閉鎖された醸造所には地元の芸術文化機関と青少年活動組織が入り、民間の力で空間に活気がもたらされました。これらの地域団体はその後「文化醸造所協会」を結成し、企業経営へと転換、政府機関や醸造所を引き継いだ信託会社と協力して、醸造所の文化的・商業的発展を共同で推進しました。再生された文化醸造所は、芸術文化の展示・公演の場を提供し、市民の生活ニーズに応えるだけでなく、当初の「ビール文化」も継承し、産業博物館やビアガーデンなどの空間計画により、現代都市の中で醸造所の核心的価値を継承しています。


2つ目の例はイギリスの「ニュー・ラナークの産業村(New Lanark Village)」です。1785年にできたこの産業集落は、約200年間綿織物を製造し、2001年に世界遺産に選ばれました。その間、社会改革家のロバート・オーウェン(Robert Owen)が経営を引き継ぎ、この小さな村で労働時間の短縮、児童労働の禁止、教育や医療サービスの提供など一連の福祉制度を実施し、人文的ユートピア思想で産業集落を照らしました。

しかし産業革命の影響を受け、ニュー・ラナークの産業村は徐々に衰退し、生産活動の停止後は取り壊しの危機に直面しました。1974年になって、産業地区の保存と再生を目的としたニュー・ラナーク保全トラストが設立され、歴史建築の修復・再利用だけでなく、五感体験、多様な居住形態、教育機能が村に導入され、「現地博物館」モデルで空間の運営が行われています。人々はここで水力紡績の産業技術の歴史を学び、アトラクションに乗って1820年代の空間の雰囲気を体験したり、地元に住んで渓谷沿いの山村生活に溶け込んだりすることもできます。

イギリスの「ニュー・ラナークの産業村」は元々綿織物産業の集落だったが、再生後は居住、教育、博物館など多様な機能を備えるようになった。(画像出典/Flickr, Photo by mrpbps, https://www.flickr.com/photos/mrpbps/3672553716/)
新竹県芎林郷の「紙寮窩製紙集落」は公共部門と学界の支援を受けて再生に向かっている。(画像出典/過疎地デジタルエンパワーメント推進プロジェクトウェブサイト)

台湾新竹県芎林郷にある「紙寮窩製紙集落」は、清国統治時代以降、精巧な手作り竹紙製造技術を発展させ、地元の金銀紙産業の繁栄をもたらしました。しかし、日本統治時代後期に皇民化政策が進められるにつれて、台湾の民間信仰は禁じられ、さらに近代化技術の導入によって伝統的な製紙産業は大きな打撃を受けました。紙寮窩(ジーリャオウオ)集落もまた、産業空間の空洞化や人口の高齢化といった問題に直面することとなりました。

2006年、中原大学は「中小規模伝統産業の文化的景観の再発展」というテーマから、紙寮窩のような集落空間の再生発展の可能性を考え始めました。事前の産業技術・歴史調査研究の後、チームはまずコミュニティエンパワーメント課程を通して住民の紙寮窩が持つ文化資産価値への理解と認識を高め、技術伝承の拠点として「製紙工房」を建設し、映像メディアを通じて地域再発展の課題を記録し普及しました。コミュニティ参加と教育応用を主軸とした再生プロセスにより、紙寮窩製紙集落は現代生活に溶け込みつつ従来の技術と風土を継承することができ、地域のアイデンティティの基盤となりました。

現代都市と文化資産保存の新たな繋がり

近年、台湾文化部(日本の文化庁に相当)は「歴史的現場の再生」プロジェクトを推進し、各県・市における面的文化資産の保存と再利用を牽引してきました。2016年にはさらに「台湾文化の道」構想を提案し、産業や民族などの文脈で関連する景観を結びつけ、ヨーロッパ産業遺産の道(ERIH)の成功経験を参考に、アンカーポイントや地点システム、テーマルートなどの概念を導入し、テーマ性のある文化体験を創出しています。

現在の台湾における主な文化ルートは、「トムソン、マカイおよび台湾の多元的民族」、「製糖業」、「鉱業」、「林業」、「水文化」など、 多様なテーマを包括しています。それぞれの分野の資源を統合することで、異なる時代や産業のもとで各民族が残した足跡を記録し、再解釈しています。こうした取り組みは、島の歴史の豊かで多層的な姿を浮かび上がらせるとともに、人々が台湾の文化資産をより深く理解するための新たな道を切り開いています。林暁薇教授の結びの言葉の通り、文化資産の保存と再生は、決して政府部門や専門家、学者だけの責任ではありません。分野を超えた協力と運営を通じてこそ、これらの貴重な記憶と景観を永続的に保存することができるのです。

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