JA
ZH
EN
Copyright © 2025 X-Basic PLANNING Ltd.
archive

長濱忠勇倉庫-農産品コールドチェーン物流システム

長浜郷の忠勇倉庫は、かつて農会が肥料を保管するための倉庫として使われていましたが、雄本老屋と緯豊営造の協力により新たな命を得て、「コールドチェーン物流システム(低温物流システム)」の重要な拠点へと生まれ変わりました。かつて農業倉庫として機能していたその歴史的脈絡を受け継ぐだけでなく、さらに視野を広げ、地域産業の将来的な発展にも目を向けています。これにより、地元で豊富に生産される野菜や果物が、加工を通じて特色ある製品へと生まれ変わる可能性が開かれたのです。将来、忠勇倉庫が保管・輸送の中継地点のみならず、長濱の地元ブランドを確立する拠点となり、古い倉庫が生まれ変わった新たな魂で地域の価値と独自性を創造し続けていくことを期待しています。

長浜郷は、八仙米やローゼルなど豊富な農産物で台湾全土に知られています。しかし、地理的に交通の便が悪く、冷蔵設備も十分でないため、農産物は貯蔵や輸送の過程で損失を被ってきました。

この問題を解決するため、2023年末に雄本老屋と緯豊営造が長濱郷農会に協力し、元々肥料と穀物を保管していた忠勇倉庫を「コールドチェーン倉庫」に改造しました。

わずか3ヶ月で、台東と花蓮県の境界に位置するこの倉庫に新たな命が吹き込まれ、1月8日に竣工式が行われました。

農業部の陳添壽次長(右から2人目)、農糧署東区分署の徐煇妃分署長(右端)、長浜郷農会の洪正憲総幹事(右から3人目)の記念撮影。

冷蔵倉庫内には RC 構造の冷蔵室が設けられており、地元の農作物の保存期間を延長することができます。さらに、EC(電子商取引)や宅配ネットワークなどの流通チャネルと連携することで、生産と販売の連携体制を強化しています。また、循環式焙煎システム、エア搬送式ティーバッグ充填システム、雑穀真空包装機などの加工設備も導入され、農産物の市場での認知度と経済的付加価値を高めています。さらに、農会は屋上に太陽光パネルを新設し、発電と断熱の両方の機能を備えることで、持続可能かつ効率的に電力消費を削減しています。

写真の機械は「エア搬送式ティーバッグ充填システム」で、乾燥させた野菜や果物、穀物をティーバッグ型の飲料製品に加工し、市場での競争力を高めるものです。来賓の手にある「台東3号ローゼルティーバッグ」は、まさにこの設備で製造されたもので、長濱郷を代表する特産農産品の一つです。左側の「循環式焙煎システム」は、大豆、赤キヌア、粟を複合穀物茶や金剛好醤油などの特色ある商品に加工することができます。

コールドチェーンシステムの増設後、忠勇倉庫は建築物の外観が一新されただけでなく、機能的な位置づけも変化し、長濱地域ブランドの拠点となりました。

塩埕の老街・古家再生運動

日本統治時代の打狗(高雄)築港計画の推進により、かつての海は埋め立てられて新しい土地となり、一面に広がっていた塩湖や沼地も市街地整備によって整然とした街区になりました。「哈瑪星」と「塩埕」の2つの港によって発展した新興市街には埠頭、鉄道、会社、銀行と商店が集まり、空前の繁栄を迎えました。商港の背後に位置する塩埕(エンチン)地区は、1920年代には劇場、料亭、カフェ、百貨店が立ち並び、あらゆる娯楽や社交が集まる華やかなエンターテインメントの街として栄えていました。この繁栄は戦後も続きましたが、1970年代に高雄の政治経済の中心が東へ移動するにつれて、次第に衰退していきました。

いまや塩埕は、かつてのように人波が絶えない「盛り場(繁華な商業・娯楽の中心地)」ではなくなりましたが、その街並みに残る古い家々や路地には、いまだ黄金期の面影が息づいています。少し手をかけて修復・整備を行えば、街の精神は再び蘇る。その理念のもと、今年、雄本老屋は協力会社の合本営造とともに、高雄市文化局が推進する「古い町家の再生プロジェクト」に参加し、塩埕および周辺地域にある築50年以上の老屋22棟のファサード改修工事を手がけました。建物のファサードから本来ない建材や増築構造を取り除き、電気や水道の配管、エアコンの室外機、電気・水道メーターなどの現代設備を配置し直し、古家の耐候性能を強化しつつ、照明計画によってファサードの美しさを際立たせることに重点を置きました。目指したのは、空間の物語の継承と再現を通して新旧市街地の変遷における港町の発展の歴史的文脈を描き出すことです。

1970年代初頭、人々で賑わう塩埕の街並み。(画像出典/写真家・鐘清溪、1973年撮影)

外から内へと向かう古家の再生

築60年の瀬南街の古家。「老街・古家再生運動」において最初に完成した場所。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

「老街・古家再生運動」の前期では、高雄大学の陳啓仁学長率いるチームが多くの家主と接触し、最終的に瀬南街の古家、新楽街二連棟、中山一路八連棟、国際商場(旧高雄銀座)などの歴史建築をモデルケースに選びました。これらの空間は住居や店舗、または空き家になっており、塩埕地区の過去の栄華を反映してはいるものの、時の経過で輝きを失っていました。また、伝統工法や建材の入手などの問題もあり、修繕や維持管理が困難でした。今回のプロジェクトは、外観の修復から着手し、旧市街地の忘れられた一角に光を当てるものでした。

この「都市設計」の視点で展開する古家再生活動には、雄本老屋が2023年に台北市で実施した「バルコニー整備実験プロジェクト」との類似点があり、いずれも街区への小規模な介入や既存の建物外観の微調整を通じて、住民や近隣の人々に古家の本質的な良さを再認識してもらうことを目指しています。家主の日常生活への影響を最小限にするため、修繕チームは限られた時間内にファサード改善工事を終える必要がありましたが、彫刻のディテールや埃の除去にも手を抜くことなく、建物本来の材質の質感や装飾的要素の復元に努めました。

最初に完成した「瀬南街の古家」。この家には家主である李さんの大切な思い出が沢山詰まっており、夫婦の日常生活を見守ってくれた住まいです。60年の歳月の中で建物が老朽化し、壁面のモザイクタイルの欠損や、鉄製装飾欄干の塗装剥がれなどの様々な症状が現れていました。精巧な木製格子窓も機能性を考慮して現代的なアルミ窓に交換されていました。工事期間中、チームメンバーは何度も現場を訪れ、外壁の清掃、修復、防水処理と並行して洗浄後の壁面や欄干などのサイズや色番を慎重に照合し、最適なタイルや塗料を選びました。また、元々の木製窓の分割形式に従い、ダークブラウンのアルミ製気密窓をオーダーメイドしました。

修繕後の瀬南街の古家は、温かみのある色調のタイルと空色の鉄製装飾欄干の鮮やかなコントラストが目を引き、周囲の建築物と調和しつつも街区で一際目を引く印象的な建物になりました。20年前にこの地に店を構えた南北貨物貿易会社はなくなり、当時瀬南街に集まっていた家族のメンバーも各々の道を歩んでいますが、埃を払い落とした古家は過去の記憶を再び鮮明にし、地元の活気溢れる商業の歴史を伝えています。

チームは頻繁にカタログと色見本を現場に持参し、古家に最も適した装飾材料を比較検討した。
鉄製装飾欄干の吊り下げ作業中、修繕チームが鉄材部品の補強塗装を行っている様子。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

同じくかつて店舗として使われていた「新樂街二連棟」は、高雄で長年親しまれてきた老舗鴨肉店の発祥の家です。後継の家族が次第にこの地を離れてからは、倉庫や飲食店の下ごしらえスペースとして利用されてきました。やがて、建物の前に設けられた看板フレームやビニール製のひさしが、本来の上品な佇まいを覆い隠し、騎楼のモルタル仕上げの柱や梁も、幾重にも塗り重ねられたペンキの下に埋もれてしまっていたのです。チームはまず、ファサードに後から追加された増築部分を撤去し、既存の鉄製窓枠を耐候性のある木製窓へと交換しました。また、一方の窓には当時の装飾格子(窓花)の職人技を丁寧に残しています。さらに、もとのモルタル洗い出し(抿石子)の質感を参考に、塗料を削り落としたうえで、色味や粒の大きさが近い石材と調合塗料を選定し、線形や曲面のプロポーションに合わせて騎楼空間を丹念に修復しました。

丁寧に洗浄・修復された赤レンガの壁面は、夜間にウォールウォッシャーライトが照射されると、幾つかの損傷が突然現れます。家主の呉さんが家族から聞いた記憶では、これらの凹みの痕跡は恐らく第二次世界大戦中の米軍の爆撃による弾痕であるとのことでした。そのため、修繕チームは平坦ではない壁面を慎重に保存し、この土地が経験した激動の歴史を建築空間に記録することにしました。

修繕後の木製の窓格子は、その中に収まる街区の風景に時代の変遷の模様を添えている。写真は、小本チーム設計二部のシニアマネージャー郭以諾(左端)、古家計画部の専門員劉亮妤らチームメンバーが竣工検査を行っている様子。

街区の復元、華やかな賑わいの再現

修繕前の中山一路八連棟は、多様なファサードスタイルを持っていた。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS 撮影)

高雄駅の前方に位置する「中山一路八連棟」は、南北から訪れる旅行者の目を引き、この都市に対する人々の第一印象を形作っています。今年の「老街・古家再生運動」に参加したこの、7棟のアパートの中には、住宅、バイクレンタル店、美容サロン、使われていない空き家があり、半世紀を超えた建築物のファサードは各々が独特の表情を見せていました。チームは古い看板や鉄材部品を撤去し、配線を整えた後、文化資産の外壁洗浄に精通したチームを招き、剥離剤を使用してファサードの装飾彫刻を復元しました。現代の使用ニーズに応えるため、修繕工事では新しい看板の設置やエアコンの交換も行い、室外機を軒下に移動させ、亜鉛メッキのエキスパンドメタルを使用して全体の視覚的な美しさを維持しました。

老街・古家再生運動は、この古い連棟アパートの往年の整ったファサードを取り戻すとともに、個々の住人が長年にわたって蓄積してきた特色も保存しました。

特筆すべきは、チームが古いアパート内の美容サロンの顧客の多くが外国人労働者であることを考慮し、看板の交換過程で家主の合意を得て、顧客が普段使う言語で新たにデザインした点です。世代を超えた生活の軌跡が融合する八連棟の建物には、地域発展の流れが具現化されています。ファサードの改善後も、多様性を受け入れ、新旧共存する港町の精神を映し出し続けることでしょう。

設計二部のスタッフ、余品均が玉砂利洗い出し仕上げの壁面に合わせて調合塗料を作成している様子。
老街・古家再生運動中、中山一路八連棟にチームが新たにデザインした看板が掲げらました。

連棟式の街並みやアパート型の古家に加えて、1936年に日本の銀座商店街をモデルに建設された「高雄銀座」も、今回のプロジェクトにおける改善事例の一つです。高雄初の大型百貨街であった高雄銀座は、以前は輸入品の集散地であり、バーやカフェなどのモダンな娯楽施設が集まっていました。建物の構造は第二次世界大戦の空襲で深刻な被害を受けましたが、1950年代に朝鮮戦争が勃発し、米軍が高雄港に駐留したことを背景に再び商店が集まり、「国際商場」という名前で繁栄を取り戻しました。また1963年にはアーケード街のブームを受けて拡張工事も行われました。しかし、都市発展の中心が移るにつれて国際商場もモダンな輝きを失い、中央の吹き抜けと両側の商業スペースをつなぐ通路だけがこの地の過去を物語っていました。

日本統治時代に絵葉書(ポストカード)の形で保存された高雄銀座の歴史的画像。

塩埕区の喧騒や静寂と共に歩んできた国際商場。(画像出典/高雄市政府文化局、ARZ FILMS撮影)

かつての繁華から静寂へと移りゆく多くの旧市街の建物と同様に、「高雄銀座」もまた、複雑な所有権や長期の空き家化といった問題を抱えていました。そこでチームは、ささやかではありながらも効果的な「照明計画」によって空間へ介入することを選びました。実際に入口や通路を明るく照らすことで、人々の記憶の中に眠っていたこの商業街へのまなざしを、再び呼び覚まそうとしたのです。チームは投光器の設置に着手しつつ、天井に吊るされた古い蛍光灯の台座を残していきました。これは、人々が黄色い光に誘われて見上げた瞬間に、過去と現在の対比、新旧の融合が生み出すインパクトを感じさせるためです。今回の照明計画のために特別にデザインした照明カバーは、新しい照明器具が建築物のファサードに影響を与えるのを効果的に防ぎ、元の空間の雰囲気を最大限に保っています。

「老街・古家再生運動」は現在も継続中です。外から内へと微調整を行いながら、少しずつ塩埕地区の視覚的印象を再構築しています。本プロジェクトの企画・設計、そして施工を担ったチームとしても、私たちは一連の具体的な取り組みを通じて、これまで大切にしてきた「老建築の再生」という理念を実践したいと願っています。都市の街並みが多様な建築様式を包み込み、それぞれの時代が持つ美意識や風格を映し出すことができれば、地域の発展の軌跡は自然と現代の暮らしの中に溶け込み、文化の土壌を豊かに育む肥沃な大地となっていくはずです。

老街・古家再生運動において高雄銀座の通路空間が照らされました。

高雄灯台-市定史跡開館・運営プロジェクト

高雄灯台の活性化がスタート!雄本老屋と小本愛玉チームは高雄港区土地開発有限公司から委託を受け、100年の歴史を持つ高雄灯台の活性化に取り組みました。高雄灯台は旗後山の上で船舶の往来を常に導いてきましたが、人々にとっては遠い存在でした。チームが思考を凝らし続けたのは、灯台を活性化し、地域の特色を融合させ、「地方創生」の考え方で地域の観光スポットにするという課題でした。

チームは旗津地域のDNAを慎重に掘り起こし、地元の若者やチーム、公共・民間部門との対話や意思疎通を重ね、互いの考えを交換しました。私たちのビジョンは、高雄灯台を単なる観光・休憩スポットではなく、旗津の重要な文化資産として地域の特色を担い、地域のエネルギーを活性化する重要な拠点にすることです。

高雄灯台の現在の姿。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)
海岸線珈琲が高雄灯台エリアに登場。(画像出典/原間影像スタジオ-朱逸文撮影)

旗津地区は交通の便が限られているため、各種資源が比較的不足しており、その結果、若者の流出が進み、地元に戻って就業・生活しようとする意欲も低い状況にあります。そのため、地方創生エネルギーのマッチングが重要な目標の一つとなりました。そこで私たちは旗津で生まれ育った若者、阿沁に声をかけました。阿沁は地元ブランドの海岸線珈琲「Shoreline Coffee & Roaster」のオーナーで、彼が提供するコーヒーや軽食には港町の雰囲気が漂っていました。

海岸線珈琲が高雄灯台に出店するにあたり、小本チームと阿沁は、観光客に港町の景色を堪能しながら海を感じる料理を楽しんでもらえたらと考え、灯台限定商品の開発からカフェスペースの計画に至るまで、ディテールに関する議論を幾度も重ねました。高雄灯台の長所は、地域のエネルギーを活性化しています。

鼓往津来-鼓山旗津フェリー事業地方創生プロジェクト

高雄の鼓山と外海の間に位置する旗津半島は、古くから船舶の渡航・停泊地として栄えてきました。砂洲の北端に立つ旗後灯台は、百年以上にわたり港と島を見守ってきました。隣接するフェリーターミナルは高雄港エリアと結ばれ、頻繁な航路によって人々の往来を支えています。

2024年、小本チームは高雄市輪船股份有限公司(フェリー会社)が実施する「鼓往津來-鼓山・旗津フェリー事業地方創生プロジェクト」を支援しました。本計画では、「地域共生」の理念のもと、旗津フェリーターミナルの内部空間を再設計・改修し、地元の自家焙煎コーヒー店「ドゥシンヤ・コーヒー」や、地域組織の育成を行う「大港校CC」などのローカルチームを招致して運営を行っています。そして、5月1日(水)には、ドゥシンヤ・コーヒー第2店舗およびイラスト展「陳年罔市(ちんねんぼうし)」の開幕式を開催し、フェリーターミナルの再オープンを祝いました。

多くのチームの協力のもとで、旗津輸送ターミナルが若者の起業拠点、芸術文化の展示、飲食サービスなどを融合した複合的機能を持つ施設となったこと、また旗津深堀ツアーの出発点となり、若いUターン者が根を下ろせる場所になったことを目にできたのは大変嬉しいことでした。

旗津地区はかつて高雄市発展の中心地であり、造船・漁撈・養殖業によって何世代にもわたり地域の人々の生活を支えてきました。その後、経済構造の転換を経て観光産業の発展に力を注いできましたが、観光資源が旗津商店街エリアに集中したことで、中洲地区の経済発展は相対的に遅れをとる結果となりました。

そのため、旗津フェリーターミナルの運営計画において、チームはこの空間を中洲および周辺地域における将来の若者の事業発展拠点として位置づけました。地元の職人ブランドや観光資源を結びつけることで、地域の価値を再生し、新たな創造を促すことを目指しています。

雄本老屋の蕭定雄協理がプロジェクトチームの理念と実践過程について説明する様子。
大港校CCプロジェクト責任者の李怡志先生がチームのビジョンを説明する様子。
地域組織支援企業「大港校CC」との協力により、雄本チームは地域に根ざす青年団体と連携し、輪渡站を拠点に旗津の地域文化を共同で推進することができた。
若いUターン者が経営する「杜辛亞珈琲」2号店が旗津輪渡站にオープン。

私たちは「公益と引き換えに賃料を軽減する」というモデルを採用し、旗津の自家焙煎コーヒー店「ドゥシンヤ・コーヒー」や、地域の若者団体の育成を行う「大港校CC」など、地元の店舗や組織を招致して運営に参加してもらいました。これにより、チームの熱意と創意を継続的に旗津フェリーターミナルへと注ぎ込んでいます。

輪渡站オープニングティーパーティーは、杜辛亞珈琲2号店のオープンを祝う式典でもありました。店舗が心を込めて用意したドリンクやスイーツは、イベントの大きな魅力のひとつとなりました。今後は、その豊かなコーヒーの香りとともに、世界各地から旗津半島を訪れる旅人たちを温かく迎えることでしょう。

大港校CCチームが企画した旗津輪渡站の最初の芸術文化展示では地元アーティスト「陳年罔市」のイラスト作品が展示された。旗津の風景が額縁の中の色彩で表現されている。

輪渡站内では飲食サービスや芸術文化展示の他に、大港校CCチームが運営を支援する「I-Center旗津深度旅行センター」が旅行情報と地元の若者のコミュニティマップを組み合わせて、観光客に旗津の深堀ツアー案内を提供しています。旅行センターでは地元職人による文化クリエイティブグッズも販売されており、旗津地域の文化的基盤を感じることができます。

旗津の文化観光の出発点となるI-Center旗津深度旅行センター。

記憶のフーガ-長源医院音楽特別展

長源医院-鹿港歴史影像館「記憶のフーガ」特別展は、鹿港の騎楼空間を時の回廊に仕立て上げ、音楽をテーマに台湾の歴史を振り返るものです。また、許家の五世代にわたる人々と音楽が織りなす生命の軌跡を通して、庶民の生活や西洋文化の融合と進化が表現されています。今回の特別展では、歴史的画像、新聞報道、オーラルヒストリー・インタビューなどの方法で家族の音楽物語が整理され、収集されたアンティークの楽器やレコードなどの文化遺産も展示されています。また、カセットテープ再生エリアも設置され、来場者はヘッドフォンを着けて島嶼の音楽に浸ることができます。

「記憶のフーガ」特別展は「家族の音楽物語」、「33回転のタイムマシン」、「音楽体験エリア」の3つの主要エリアに分かれており、長源医院で開かれた許家の音楽会の様子、重要な出来事や曲が民族路側の主屋の騎楼下に再現されています。展示では、微視的な家族の視点から始まり、日本統治時代から現在までの音楽の変遷へと広がり、そこから庶民が時代の流れに適応していく姿や、百年にわたって受け継がれてきた生活への情熱を垣間見ることができます。

中空パネルで組み立てられた半屋外展示空間は、鹿港の街の喧騒と活力を残すと同時に来場者を歴史のトンネルへと導き、写真フィルムに焼き付けられた無音の旋律に耳を傾けさせます。キュレーションチームは、許読医師が故郷に西洋文化をもたらすきっかけとなった話から始め、彼が台医専交響楽団のバイオリン奏者として台南庁で20年ぶりとなる最大規模の音楽会に参加したことや、鹿港音楽研究会を組織した際のプログラムや新聞報道を一つ一つ展示しています。また、古い写真とその中の物語を通して、家族の成員が後に音楽を学び、愛するようになる深い系譜を繊細に描き出しています。また、台湾の著名なリアリズム写真家である許蒼澤もかつては器楽愛好家であり、彼が以前演奏していた鈴木バイオリンも特別展で公開され、今回の展示のハイライトの一つとなっています。

雄本老屋チームが「記憶のフーガ」特別展の空間を設営している様子。

許家の音楽物語と呼応するように、展示場の反対側の壁面には多数のレコードが掛けられています。これらは長源医院-鹿港影像館名誉館長の許正園医師が大切に保管していた楽曲であり、許家の音楽に対する変わらぬ愛情を象徴するとともに、台湾の1970年代から1980年代の社会的雰囲気も描写しています。1枚のレコードに6曲しか録音できないという時間的制約は、現代の音楽ストリーミングプラットフォームの利便性と鮮明な対比をなしており、当時の一曲一曲が持つ重みをより際立たせています。

隣接する音楽体験エリアにはカセットテープとプレーヤーが設置されており、来場者は自分でプレイリストから曲を選んで再生することができます。古い写真や三世代にわたるバックグラウンドストーリーと共に、音楽が許家の人々、さらには鹿港住民の人生の中で果たした役割を感じることができます。「記憶のフーガ」特別展への皆様のご来場を心からお待ちしております。時代の流れの中の永遠の旋律に耳を傾け、音楽がいかに家族、都市、時代の共通の記憶を紡いできたかを感じていただければ幸いです。

音楽体験エリアでは、来場者が自分でカセットテープを再生し、音楽を聴きながらその背景にある小さな物語を読むことができる。

「記憶のフーガ-長源医院鹿港歴史影像館特別展」

展示場所|長源医院鹿港歴史影像館(彰化県鹿港鎮中山路194号)

開催日|2024.11.13(水)

開館時間|水曜日~金曜日 11:30-17:30/土曜日~日曜日(祝日含む)11:00-18:00

指導機関|台湾文化部(日本の文化庁に相当)、彰化県文化局

企画|名誉館長・許正園医師、雄本老屋企画有限公司

中華開発資本による地方創生行動実践プロジェクト

2023年に「中華開発資本による地方創生行動実践プロジェクト」が開始されて以来、雄本老屋は中華開発資本と林事務所からの招待を受け、2期連続でこのプロジェクトを請け負っています。私たちは、計画主宰である林承毅先生とともに地域創生の理念を推進し、台湾の各地で活動するローカルチームが一歩一歩ビジョンを実現していく過程を伴走できることを大変光栄に思っています。そして、地域の文脈から新たな発想を生み出し、持続可能な運営の道を切り拓いていく、その歩みに寄り添い続けたいと願っています。

雄本老屋にとって建築物は、単なるレンガと瓦で積み上げられた無機質な構造物ではなく、都市文化を担う有機体であり、各街区の時代とともに変化する空間的特色を構築するものです。しかし、都市と地方の発展格差や時代の変化によって、多くの風景が静かに姿を消しつつあります。産業環境の変動や地域への愛着の希薄化など、複雑な要因がその背後で大きな役割を果たしています。そのため私たちは、古い建物を「地域の力を宿す器」と捉え、その「再生」の意味は地域の文脈と密接に結びつくべきだと考えています。そうすることでこそ、互いに価値を高め合う好循環が生まれるのです。

今年も私たちは「まだ終わっていない、共に支え合おう。寄り添い、もう一マイル歩もう」という精神を第一に置き、ワークショップ、読書会、マーケットイベント、現地視察プロセスの企画を通じて、長年にわたり地域振興を推進してきたチームの経験を融合させ、地域、人々、空間の繋がりを再構築し、土地の豊かな生命力を共に取り戻すことを目指しています。

プロジェクトチームと林事務所の林承毅CEO(後列右から2人目)、雄本老屋の蕭定雄協理(後列右から3人目)が中間ワークショップで撮影した集合写真。
今回のコンセンサス会議は雄本老屋の学際的企画部の蔡郁萱主任が企画した。

今年度のプロジェクトチームが注目するテーマには、地元の食文化の普及、養蜂箱のデザイン、伝統工芸の転換と復興、漁業廃棄物の再利用など、多岐にわたる提案が含まれています。5ヶ月を超える実施期間中、雄本チームは常に「伴走者」としての役割を果たし、各分野の専門家をメンターとして招き、現地視察、能力開発講座、ワークショップを通じて実力を養成し、ブレインストーミングの過程で新たな発想の道を切り開きました。

当初、ほとんどのチームは独立してプロジェクトを実行するスタイルを採用していましたが、今回は既存のワークショップとチャリティデーに加え、林承毅先生が特別に準備した読書会が、チーム間の実際の交流とその後の協力を予想以上に促進しました。さらに、前回の参加チームである「阪豚国際」を招き、実施経験の共有を通してプロジェクトの持続可能な精神と実務知識を今回のパートナーたちに継承してもらいました。

組織の能力開発と地域連携に加えて、地方創生行動実践プロジェクトがチームに与える「社会的影響力」も大きなポイントです。KGIファイナンシャルホールディングスは2年連続でチャリティーマーケットを開催し、雄本老屋の協力のもとでチームを招待し、皆が心血を注いで開発した製品を展示する機会を提供しています。「地方創生」をテーマにしたチャリティーデーマーケットは、今年もクリスマス前の最後の金曜日に開催され、各チームの土地への情熱が創造的な商品や文化体験として形になり、臺灣各地の独自性と素晴らしさが具体的な行動によって伝えられました。

中華開発資本と林事務所のご招待に深く感謝の意を表します。雄本老屋は自らの専門性で都市と農村の問題に関わるだけでなく、実際にその中に参加し、地域チームと肩を並べて歩むことができました。その間、多くの課題にも直面しました—例えば、スケジュール調整において、中華開発資本のスタッフ、メンター、プロジェクトパートナー、雄本チームの予定を調整することは大きな作業であり、コミュニケーションと連絡に費やされる労力は想像以上でした—しかし、こうした着実な交流の中で、私たちは地域再生の難しさを間近に見ることができ、参加チームの貴重な原動力を実感することができました。

中でも、廃棄された貝殻のリサイクルプロジェクトを提案した「通利水産行」は、本プロジェクトを担当した雄本のスタッフ、学際的計画部の蔡郁萱主任にとって非常に印象的でした。故郷に戻って活動するこの姉妹経営者たちは、プロジェクト期間中も初心を忘れませんでした。彼女たちは純粋なサステナブルの精神に基づき、水産養殖で生じる廃棄物をアロマストーンやコースター、環境に優しい猫砂などの製品に再生しました。それらを商業的利益を追求する手段として見なさずに、本業への情熱を保ち続ける姿勢は敬服に値します。

プロジェクトチームがワークショップでブレインストーミングを行う様子。

2期にわたるプロジェクトの実施経験を振り返ると、雄本老屋は常に連携と支援の役割に焦点を当ててきましたが、実際に参加する過程の中で、将来的により深く企画に関わる可能性について考え始めるようにもなりました。そして、すべての努力と積み重ねが最終的に中華開発資本の上層部から認められたことは、雄本のスタッフにとって最も直接的な励ましやサポートとなり、すべての挑戦に特別な意味を持たせるものとなりました。

10組のプロジェクトチームの取り組みは、島嶼の各地に尽きることのない再生エネルギーを注入し、急速に変化する都市や農村、田園、河川、山林の姿の裏で、忘れ去られつつある地名や記憶が、現代社会でどのように居場所を見いだせるのかを人々に示しています。「中華開発資本による地方創生行動実践プロジェクト」は決して段階的なタスクではなく、文化と環境の永続に向けた長期的な旅路です。今後も土地に根ざした創造の種がより多く芽吹き、成長し、地域の水と土を守り、万物共生のエコロジカル・ネットワークを支える存在となることを期待しています。

卯澳石頭屋保存再生プロジェクト

2022年10月、雄本チームと卯澳の地元チーム・守護極東-馬崗、卯澳は共に卯澳石頭屋「福連街28号」、「福興街15号」の所有者である江明賢氏が「卯澳石頭屋繁星保存再生プロジェクト」に採択されるのを支援し、10月17日、台風の風雨の中で石頭屋の修復工事の起工式を開催しました。起工式の準備過程で、雄本チームは北東モンスーンの中で線香に火をつけるため、メンバーたちの手と背中で風雨を遮り、心を一つにして起工式の横断幕を掲げ、工事の安全と順調な進行を心から祈願しました。

石頭屋は台湾北東部の漁村集落で、自然環境に適応するために地元の石材で築かれた住居です。北東モンスーンや海の波を防ぐ機能性、地域環境を彩る芸術性、あるいは漁村発展の歴史が反映された文化性など、卯澳が保存を強く望む重要な特徴を持っています。かつての漁村住民の生活環境は厳しかったものの、近所の人々はいつも助け合っていました。石造家屋の建築、日々の漁撈や採集、そして地域の信仰である利洋宮の繞境(巡行)に至るまで。石頭屋集落の暮らしは、いつも皆で力を合わせてつくり上げられてきました。

雄本チームにとっても、石頭屋と共に踏査を行い、計画申請を経て着工に至るまでの歩みは、まさに同じように「共につくり上げてきた旅路」でした。私たちは地元チームや家主夫妻と共に卯澳の酷暑と厳冬を過ごし、一つ一つの石や瓦の物語に耳を傾けました。そして着工式当日、ちょうど季節風が吹きつけ、私たちは地元の人々が秋冬に日常的に向き合う気候を身をもって体験しました。同時に、石造家屋のたくましさも目の当たりにしました。たとえ一面の壁しか残っていなくても、風雨の中で揺るがずに立ち続けるその姿を。

雄本チームは今後の修復工事において、この風雨に耐えてきた石の壁をさらに強固な石頭屋にし、地元の人々のために新しい空間を作るだけでなく、斬新な計画と利用を通じて、石頭屋の特色や物語が、代々積み上げられてきた石のように、これからも紡がれていくことを目指しています。

台北市文化資産保存保護誉揚賞

文化資産の保存と保護は十年一剣を磨くようなもので、一つ一つのレンガや瓦の丁寧な修復にせよ、地域に根ざした心のこもった共創にせよ、一朝一夕で成し遂げられるものではありません——その核心となる原動力は、運営者の日々の献身的な取り組みと、管理・保護計画の策定と実行にあります。2024年、長年文化資産の保存の問題に注目してきた雄本老屋は幸いにも理念を実践に移す機会を得て、台北市政府文化局からの招きにより、「第三回台北市文化資産保存保護誉揚賞(以下、誉揚賞と呼ぶ)」の企画運営を支援することになりました。今回の賞の企画を通じて、私たちは台北地域における数多くの素晴らしい文化資産事例に対する評価を表明するだけでなく、保存、活性化、普及において顕著な貢献をした実践者たちに焦点を当て、そこから貴重な保存経験と考え方を学ぶことができました。

文化資産の修復が完了し、華々しく竣工した後の一見すると単調な毎日の繰り返しこそが、建物の寿命を伸ばすための重要な要素になります。もし、雄本老屋が二期連続で文資局の「古跡・歴史建築・記念建築の管理維持評価」を支援してきたことが、国内の文化財保存の現況を大局的に見つめる試みだとするなら、今回の誉揚賞は、より繊細な都市スケールから、文化財がどのように街区の景観や文化的な暮らしに前向きな変化をもたらしているのかを観察し、その中に潜む興味深いディテールのひとつひとつを記録するものだと言えるでしょう。一次選考から現地視察、詳細なインタビューと表彰式典に至るまで、私たちは文化資産を守る多くの人々の情熱と信念を目の当たりにしました。この記事を通じて誉揚賞に込められた深い意味と全体像を描き出したいと思います。

文化資産保護の現場へ

李乾朗先生(左から2人目)が施設の発展と運営方針について提案する様子。

本年度の誉揚賞は「保存・修復」「管理・維持・推廣」「特別貢献」の三部門に分かれています。空間修復、企画・設計、工事監理などで優れた成果を上げた方、管理維持や運営・普及で特筆すべき実績を示した方、そして文化財の保存・普及に大きく貢献した方へ、それぞれ授与されます。文化局による一次選考の後、文化資産分野の専門家11名を評価委員として招き、二次審査の現地視察と最終選考評価を行い、最終的に受賞者と入選団体を選出しました。

現地視察の過程では、修復チーム、管理団体または所有者が現場でのプレゼンテーションとガイドを通じて、評価委員が文化資産の現状を深く理解し、総合的な評価と交流を行えるようにしました。その後、委員たちは現場での観察と専門的判断に基づき、貴重な助言と評価を行いました。現場での質問とディスカッションを通じて、委員たちは修復チームや管理団体と共に文化資産の保存・保護において実際に直面している問題を探り、これらの課題に対する調整案、将来の発展ビジョン、そして具体的かつ実現可能な計画を提案しました。この一連の交流と対話は、参加チームに最も直接的なフィードバックと収穫をもたらしました。

台北孔子廟管理委員会は評価委員、台北市政府チームと雄本老屋を案内し、施設の実地見学を行いながら、日常の管理・保護の詳細と運営推進の特色について説明した。

保護の心得をカメラで記録する

誉揚賞の実施過程において、雄本老屋チームは写真と動画を通じて、二次審査の現地調査、個別インタビューから表彰式典に至るまでの素晴らしい瞬間を記録しました。その中で、雄本老屋は本年度の受賞者に向けて、インタビューや撮影を通じて個別事例の実績映像を制作しました。これらの映像によって優れた事例建築の魅力を伝えるとともに、文化財を守り続けてきた人々の貴重な心得を記録し、未来へ受け継いでいきたいという思いが込められています。

受賞団体へのインタビュー前に、雄本老屋は綿密な計画や多方面との検討を経て、各事例に合わせた質問のアウトラインと撮影台本を作成し、専門の撮影チームを各対象地に派遣して撮影を行いました。撮影の過程では、多くの文化財管理団体が細やかな心配りと真摯な姿勢で日々運営に取り組んでいる姿が見られました。撮影に集中しながらも、現場を訪れる来訪者の安全や体験への配慮を決して忘れない、その姿勢に深い敬意を抱かずにはいられませんでした。これらの日常的で飾らないやり取りや反応は、最終的には映像作品として表に出ることはありませんでしたが、私たちにとって忘れがたい、かけがえのないディテールとして心に深く刻まれています。

台湾文学基地は、本年度の誉揚賞「管理・維持・推廣」部門の受賞団体です。園区は、齐東街53巷の 2・4・6・8・10号、および济南路二段の 25・27号、合わせて7棟の日本家屋(旧宿舎)で構成されています。台湾文学基地は文化と文学の継承に尽力するだけでなく、日常の管理・保護においても高度な専門性と細やかな運営を貫いています。
今回の誉揚賞特別貢献部門の受賞対象である李臨秋旧居でインタビュー撮影を行う様子。写真に見えるのは、台湾の著名な作詞家・李臨秋の息子である李修鑑さん(右端)。彼は旧居の保存と臺灣歌謡の普及に尽力し、現在の李臨秋旧居が歴史を再現するだけでなく、台湾の価値と無私の精神を担うようにし、文化資産誉揚賞特別貢献部門の模範となった。
今回の管理保護推進部門受賞団体である北投公共浴場(現在の北投温泉博物館)では、館長の鍾兆佳(左端)が専門的かつ効率的なペースでその日の撮影を完了した。

また、雄本チームは今回の撮影とインタビューを通じて、これらの受賞団体が文化財の保存に取り組む中で直面してきた課題や困難について、より深く理解することができました。例えば、中国映画製作所Aスタジオ内の大スパンのトラス構造は、修復チームが現場に入った時の難題の一つでした。トラス構造をオリジナルの外観を保ちながら変形させず、安定性を維持する方法を模索する過程で、修復建築士、構造技術者、施工チームは長い間頭を悩ませました。

修復の課題だけでなく、修復現場ではしばしば予想外の発見があります。台北第一高女(光復楼)の修復過程では、修復チームは当初、会議室の木製腰板を再塗装する予定でした。しかし後に施工チームは一部の塗装剥離テストにおいて、木板の最下層の元の色と線の細部がすべて完全に保存されていることを発見しました。建築士と施工チームは研究と検討の後、最終的に木材の塗装をすべて剥がして保護コーティングのみを施し、木材の最も原始的なスタイルと細部を保存することにしました。

本年度の保存・修復部門の受賞対象である「中国電影製片廠 Aスタジオおよび録音室」では、修復チームの徐裕健建築士(左一)と長聖營造の李正平マネージャー(左二)が、修復初期の段階で、スタジオ内部にある大スパンの鋼製トラスの修復方法について幾度も議論を重ねていました。建築士・徐裕健は「基本的に、史跡修復において現代の高度な技術による補強工法に直面することは、史跡修復チームにとって大きな挑戦です」と回顧している。
鋼成営造は今回の保存修復部門受賞団体である台北第一高女の修復チーム。撮影当日は張震宇董事長自らが修復過程の心の旅について説明を行った。張董事長は、文化資産の精神は保存であり、建設会社の使命はその文化的価値を保存し、修復過程で徐々に原型を見出していくことだと考えている。彼はこう述べている。「私が一棟多く修復すれば、一棟多く残すことになる」

多様な活動で昔日の輝きを磨き上げる

二次審査の現地調査、最終選考会議、受賞団体の映像撮影・インタビューを経て、今回の誉揚賞表彰式典は2024年11月11日に台北孔子廟明倫堂で開催されました。式典では、オープニングパフォーマンス、表彰式、映像上映などが行われ、すべての受賞者と候補者に実際の評価が示されました。また、将来文化資産の保存に関心を持つ人々にとって参考となる模範が示されました。

第三回台北市文化資産保存保護誉揚賞表彰式典での集合写真。
今回の誉揚賞では、雄本老屋と拾意創合設計顧問有限公司が共同でデザイン・制作した美しい報告書が配布され、審査過程やトロフィーのデザイン、受賞・候補案件の実績、評価委員のコメントが紹介された。
表彰式典の記念品「誉揚賞せんべい」は「メダル」をコンセプトにデザインされた。

表彰式典のほかにも、複数の講演会や展示会を開催し、文化資産の保存と保護の多様性を継続的に推進しています。表彰式典当日に開幕した展示会では、今回の誉揚賞受賞者と候補団体の紹介を主軸に、インタラクティブな装置と各事例の展示品が設置されました。展示会場の台北孔子廟は観光名所であることから、雄本老屋は観光客向けに英語の簡単な紹介資料も用意しました。さらに、今回の誉揚賞受賞団体および関連チームを対象に、3回のシリーズ講座を開催しました。テーマには古家の再利用と運営、自身の旧居保存の心の旅路、そして史跡修復に携わる建設会社の経験共有などが含まれ、これらの活動は、文化資産の保存・修復、古家の活性化と再利用などのテーマに興味を持つ市民がこの専門分野に初めて触れる機会となりました。

台北市文化資産保存保護誉揚賞は第三回を迎え、雄本老屋は今回の実行チームとして参加できたこと、多くの先輩方と共に二次審査の現地調査、映像撮影インタビュー、表彰式典での表彰などのプロセスに参加できたことを光栄に思います。冒頭で述べたように、文化資産の保存と保護は十年一剣を磨くようなもので、修復・再利用からその後の管理・保護まで、あらゆる段階で長期的な蓄積と各界の共同努力が必要です。誉揚賞を通じて、より多くの人々が文化資産保存の実践者の姿を目にし、現代都市において古い建築物の持つ特別な意義が継承されることを願っています。

雄本老屋チームが今回の文化資産誉揚賞表彰式典の会場外で撮影した集合写真。